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2007年3月25日 (日)

「強がりはよせヨ」

相変わらず要求が複雑と言うか屈折しているというか。

「強がりはよせヨ」と言ってもらうためにはまず相手の前で強がった上で、かつ相手がそれを強がりと認識して、さらにそれをやめるべきだと判断して、発言してもらうという数段階のプロセスを踏まねばならず、それらを全てクリアして願いを成就させることは現実には難しいことを考えると、この歌は仮定に仮定を重ねた先にある光景に切なさや喜びを見出す歌であって、平たく言えば妄想である(あるいは妄想する主人公を描いた曲)と思います。
それだけに描き出される情景は誰もが共有できる寛やかな空間ではなく、むしろ妄想する個人のためだけの存在のような気がします。

以上、延々と言い訳を書いてきましたが、早い話が筆者には全く理解できなかったということで、感想を正直に書くならば「わけのわかんないこと言うな!」という気持ちになりました。もし「この気持ち、よく解る」という人がいたら是非解説して頂きたいです。

などと棚上げして終わるのは心苦しいですが、現時点でわからないものはわからないということでご容赦頂きたく。

2007年3月18日 (日)

「追いかけてヨコハマ」

遊びがあるアレンジに妙にエコーが利いたボーカルと、何か真面目に考え込むような雰囲気ではなく、「追いかけてヨコハマ」のフレーズを気分よく歌えればそれでいい、という潔さがあるような気がします。
歌詞だけ読めば、繰り返される「ヨコハマ」に愁嘆と執念があり、潔さとはむしろ対極のように思えます。

そんな歌詞とアレンジの矛盾が怪しい緊張感を醸し出して、もし中島みゆき版の「追いかけてヨコハマ」をカラオケで歌ったら、得体のしれない盛り上がりをみせるのではないのでしょうか。
なんて言って、盛り上がっているのは本人だけという破目になりそうな、変なアルコール分を持つ曲だと思いました。

2007年3月11日 (日)

「ルージュ」

中島みゆきは必ずしも詞の全編にわたって情景を描き続けるわけではなく、一瞬の情景に光をあてて暗闇の中に照らし出すような描き方をすることがあります。

この曲も大半は黒を丹念に塗り重ねることに費やされて、主人公の心は暗闇の淵へと埋没していきます。
その上で本心が発露する瞬間だけに光を当ててその姿を捉えます。この場合の光は希望の光という意味ではなくて単なるスポットライトであって、寧ろ闇に紛れていたままの方が幸せかもしれないような感情を酷い位に曝け出し、聴く人間は目が(耳が)痛くなるような気分になります。

無論、詞だけの話ではなくてボーカルの表現力やメロディの美しさもあいまっての事ですが、この曲が印象に残る理由はそんな描写の鮮烈さから来ているのではないかと思いました。

2007年3月 4日 (日)

「世迷い言」

実は「サヨナラを伝えて」の記事を書いたときに、あまりにも歌謡曲っぽかったために中島みゆき以外の人が作ったのではないかと歌詞カードの末尾を調べてしまい、その際に七曲目は阿久悠の作詞だと知ってしまいました。

ということで、そのことを意識せずには聞けなかったのですが、思ったより違和感は少なくさらさらと流れていくように聞けました。歌詞カードを読むことが無かったら多分中島みゆき作詞だと思っていたのではないでしょうか。

前曲が深刻な感じだったのと比べて、剽げた雰囲気が気分を和らげてくれます。好い感じの曲ですがその一方で心に引っかかるところは少なく、どちらかといえば節を楽しむ曲のような気がします。

他人の歌詞によるこの曲は中島みゆき節について語る格好の材料になるかもしれません。筆者にそこまでの能力はありませんが、改めて普遍的なメロディーを作れる中島みゆきのメロディーメーカーとしての良さを感じました。

2007年2月25日 (日)

「この空を飛べたら」

感性が今ひとつ貧しい筆者は空が恋しいという気持ちになったことはなく、従って「人は昔々鳥だったかもしれないね」などと言われても何勝手なこと言ってんのさ、という感想が涌いてしまいます。

しかし、歌など身勝手な気持ちを晒け出すものですし、時にはその個人的な思いを普遍的で他人と共有できる主題(例えば、あの頃に帰りたいという願望)に託すことで、聴く人と共鳴させ増幅させることもあると思います。

そういう意味でこの曲はまさに「歌」であって、非常にドラマチックに聴く人の心を揺さぶる(かもしれない)と思います。ただ、筆者は表現がやや壮大すぎるように思えて乗ることができませんでした。

2007年2月18日 (日)

「雨…」

やや大袈裟で感傷的な詞と演奏で、「貴方」という言葉は何度か出てくるものの誰かに向けて歌ったというよりも自分の心に沈み込んでいくような印象です。
この人の過去に何があったのか、そして現在どんな状況でどんな心理であるか、というようなことを解釈するよりも雰囲気にのめりこめるかどうかがこの曲を理解する鍵であるような気がします。

筆者はどちらかというと乗れない方であって、中島みゆきは雨、雨と連呼したかっただけではないだろうか、などと思ってしまいます。同調できる人ならとことん雨に打たれて感傷の洪水に溺れることが出来る……と思います。

2007年2月11日 (日)

「しあわせ芝居」

「電話をしているのは私だけ」という詞から最初は一人芝居の悲しさを歌った曲かと思いましたが、この場合の芝居とは一人芝居で盛り上がっていたという意味ではなく、もう感情が冷めている状態で恋人を演じているという意味かと思います。

泣きながら、或いは眠りたくない気分の時に電話をかけることはそれ自体が目的で、感情に身をまかせた行動です。おそらくその時は芝居ではなく本心からの行動であったかと思います。
しかし、部屋を訪ねていいかときいてみるつもりという段階では相手の反応を見ることが目的で、結果の予想まで立ててあり、これはすでに「私」の感情も既に温度が低くなっており、実験者のような冷静な気持ちになっているように思います。

そう考えてみると、「しあわせ芝居」はあなたは私のことを好きではないのだろうけど、私もあなたをもう好きではない、二人して芝居しているだけのことなのよ、という宣言にも取れ、「恋人がいます」のフレーズの凄味が増してくると思います。

2007年2月 4日 (日)

「サヨナラを伝えて」

久々に、というか今まで聞いてきた中で最もモロに歌謡曲的であり、その演奏のインパクトが強すぎて他のことが霞んでしまいました。

ここでいう「歌謡曲的」とはよくあるギターリフやサビのストリング&コーラス、合いの手で入るありふれたフレーズのホーンなどから感じる大衆っぽさというか、安心感とでもいうか、要するに筆者の印象であって、この曲を歌謡曲であると決めつけたり、まして批判したりする意図はありません。

中島みゆきはおそらく誰もが馴染めるポップミュージックとしての歌謡曲を全く否定しておらず、むしろそのような曲を作ろうと試みていることは、これまでの楽曲を聴いただけの筆者にも何となく解ります。

が、この曲では歌謡曲臭が強すぎてその試みは失敗しているような気がします。筆者のような聴かず嫌いをむしろ増やしているのでは。
中島みゆきの意図というよりは単にアレンジャーの癖なのかもしれないし、70年代の曲を今聞いたら古臭さを感じた、というだけのことかもしれません。
しかし、筆者はこの曲は空振りだと思いました。

2007年1月28日 (日)

「髪」

決心を描いたのか、葛藤を描いたのか、未練を描いたのか、解釈によっては全て成り立つと思います。「長い髪が好きだとあなた 昔だれかに話したでしょう」だけで腰まで伸ばした髪に込められた想い(一体何年分なのか)を断ち切るまでには相当の曲折があると思います。
伸ばすきっかけもあなたであり、切るのもあなたのためであり、とにかくあなた中心に考えて涌いてくる想いは恨みのような負の感情も含まれ、複雑だと思います。

この曲の最も悲しいところは(あと少し恐ろしいところも)そのようにあれこれ考えて悩み苦しみながらも、全ては一人芝居であるというところだと思います。
気付かれずに浮き沈みする想いは、その最期までも気付かれないまま終わっていくのでしょう。

2007年1月21日 (日)

「あばよ」

唐突ですが、友人が振られたときにどんな言葉をかけるでしょうか。表現に差はあれど、この歌のように「あの人はお前に似合わないよ」という言葉になるはずで、まず「お前はあのひとに似合わないよ」とは言わないと思いますが、どうでしょうか。

これは似合う似合わないの基準を「あの人」ではなく「お前」に置いているからです。
友人を慰めるからには友人を中心(基準)にして話を進めるのは当然で、「あの人はお前に似合わないよ」とはお前という基準にはあの人は合わないという意味で、さらには基準に合わない方が悪いのであってお前は悪くない、と暗に言っているのだと思います。

一方、自分が振られて自省するときは「私はあの人に似合わない」と考えるのが普通で、これは基準がどちらかというより自分について考えるときに主語が自分になるという当然の発想だと思います。

しかし、この歌では敢えて主語を「あの人」にしています。「あの人」を連呼することで「あの人」が今も心の大半を占めていることを表現しているようにも見えますが、筆者はむしろ基準である「あたし」を誇示しているのではないかと感じました。

つまり、「あの人はお前に似合わない」は絶対的な基準である「あたし」に「あの人」が合わないのだからしようがない、という自己へ慰めであり、同時に好きな人と合うことがない「あたし」という基準に対する疑念の言葉であると思います。

この歌は「あの人」を繰り返しながら、変えることのできない自己への葛藤を描いた曲だと思いました。

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