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2007年1月14日 (日)

「断崖‐親愛なる者へ‐」

「春の服」はリズムチェンジした後の妙に明るい曲調で表されているのでしょうか。歌詞とは相反すると言っても良い位で、非常にチグハグとした印象を受けました。一体この歌は人生に対して前向きなのか、後ろ向きなのか、強がっているのか、弱音を吐いているのか。

感情が最も強まるのは「いま」を描き出す断崖の場面だと思いますが、この場面が最も筆者の頭の中では映像として捉え難く(幾通りか解釈を考えることはできても)、この情景の悲しさや切なさを感じ取ることができませんでした。
崩れ行く崖の上で流し目を使うとは(それが現実の光景ではないにせよ)どんな状態なのでしょうか。

ただ、人生を悲観しているようにも取れるこの歌ですが、人生を放棄しようとする雰囲気は毛ほどにもなく、悲しいにせよ、やるせないにせよ、それでも生きていこうとする決意の歌ではないかと思いました。

2007年1月 7日 (日)

「狼になりたい」

筆者にとってはやや特殊な曲で、以前からメロディも歌詞も殆ど知っていました。というのは友人の盗賊さんが一時カラオケでよく歌っていて、そのインパクトが強力だったからです。
彼の歌い方は故意にのめり込み過ぎで、「狼になりたい」の後に「ワオーン!」と狼の鳴きまねが入って周りの笑いを誘うというものですが、そうやって笑いでも取らないと「何か悩み事があるなら相談乗るよ?」と言ってしまいそうなほど深刻な落ち込みがある曲です。

筆者は「狼になりたい」のフレーズはピンと来ません。狼など普段は忘れ去っている動物で、なってみたいと考えたことも無いので、「狼になりたい」と言われても共感することはできません。

改めて考えてみると、行き詰った主人公が愚痴や逆恨みを連ねた挙句、吉野屋ですらないがしろにされて発する言葉が「狼になりたい」であって、ここでいう狼は何か偉大な存在ではなく、こんな境遇よりは狼のがましだ、というニュアンスかと思います。
よって「狼になりたい」は耐え難い現実から一度だけでも逃れたい(が逃れられない)という悲鳴であって、それだけに生々しく聴く者に衝撃を与えますが、かといって軽々と「わかるよ」などと言って良いものでもなさそうです。

いつか心から共感できる日がやって来るかもしれませんが、そんな日は来ない方が良いかもしれません。

2006年12月30日 (土)

「小石のように」

カントリー風の曲調のせいか、自然の景色に例えた比喩が多いせいか、明るく前向きで爽やかな感じすらする曲です。それだけに前曲ほどのインパクトは無く、アルバムのバランスをとるためか、又はギャップで聞くものを揺さぶろうとしているのか、と楽曲とは直接関係無い余計な勘ぐりをしたくなります。

故郷の山から川へ、海へ、空へ、さらにはあの山へと転がる石を非常に高い視点で追ってゆく点も、どちらかといえば転がる石の視点で景色を見ていることが多いこのアルバムの中で異色な気がします(まだアルバム全曲聴いていませんけど)。

この曲はどんな存在なのか、はこれから残る曲を聴くうちに解ってくることかも知れず、或いは最後まで解らないかも知れず、もしかしたら中島みゆきにとってはなんとなくできちゃった曲というだけのことかも知れませんが、筆者としてはさっきまで時報に電話していた人が海だ空だと歌い始めたことに大いに困惑を感じたのでした。

2006年12月24日 (日)

「ダイヤル117」

久々に「暗い」という言葉抜きには感想を述べ難い曲です。夜が始まる21時から、夜が明ける前の3時までを切り出したかのような暗い情景が描かれています。

正直に書いて、筆者の良くない耳ではサビまでの言葉はぼそぼそとしていてよく聞き取れず、ようやく聞き取れたサビの暗さに打ちのめされ、さらに歌詞カードを読んであまりの暗さとタイトルの怖さに愕然としました。

時報に向かって「切らないで」と呟いている女を想像すると、涙よりも恐怖がこみ上げてきます。しかしながら、本当に時報に向かって何事かを訴える人間を描写した曲ではなく(多分)、行き場のない孤独な気持ちを綴った歌なのだと思います。

昼間、人前で抑圧しなければならない感情は、人前ならむしろやり切ることができます。しかし、夜に入って一人になると抑え難くなります。それを解放させようと思い、独りで泣いたり叫んだりしても解消することはありません。何故なら人前で抑圧した感情は、人前で曝さなければ解放にならないからです。

こうして感情は高まる一方で行き場はなく、やがて張り詰めて、切れていきます。117とはコールばかりでレスポンスのない一方通行の感情の象徴としてタイトルになっていると思います。

と、解釈して筆者はやや安心しましたが、翻って聞いてみると「やっぱりこの人ヤバくない?」とも思います。

いかん、中島みゆきに翻弄されている。

2006年12月17日 (日)

「片想」

とてもストレートな歌詞で、深読みしようと努力してみましたが、無理でした。

タイトルどおり片想いの曲だと思いますが、まだまだ片想いの初期の段階、といった印象です。それなりに警戒の気持ちも浮かびつつも、どちらかといえば心は既に甘い夢に浸かっているような。

全ての言葉は裏腹で、露骨な警告の台詞も逆効果のような気がします。この歌は警戒と警告の歌では無く、むしろ片想いの溢れるような喜びを逆説的に描いた歌ではないでしょうか。

2006年12月 9日 (土)

「根雪(ねゆき)」

声は低く震え、静かに響いて、透き通るように寒い街の雰囲気そのものといった印象です。
このままギター一本で曲が終われば、歌は美しい結晶として完結したはずです。
なのに何故あの破壊のような後奏が?

実際のところ後奏の意味など考えてもわかるはずなく、中島みゆきがちょっと後奏をつけてみたかっただけ、ということは十二分にあり得ます。

しかし、筆者は最後の「あんたなんか」から後奏への瞬間に自棄の想いを感じました。最初は必死に整理しようとしていた感情を結局は終わらせることができず、最後の瞬間に理性の堰が決壊し、後は感情の奔流に身を任せた。そんな感じです。
極言すれば、その瞬間までの部分は全て前振りである、と言えます。

どんな気持ちにも終わりはあるはずですが、少なくとも今この瞬間は全く忘れられていない。そんな不意に襲ってくる感情を捉えた曲ではないかと思いました。

2006年12月 3日 (日)

「信じ難いもの」

「なら信じなきゃいいじゃないのさ」と、何故かお姉言葉でつっこみたい。一体貴方は信じたいのか信じたくないのか。

メモ書きのように並べられる「信じ難いもの」の羅列を見ていると、「愛の言葉」も「誘い言葉」も信じ難いけれど、一番信じ難いのはそれを信じてしまう「あたしの耳」だなあ、という「あたし」の呟きが聞こえるようです。

もろくて頼りない「信じる」気持ちがタイトルそのもので、信じちゃいけないものを信じているな、とわかっているのにどうしようもない、論理では整理のつかない感情を歌っているのだと思います。(そして筆者もそのことをわかっていながらも「だったら信じるなよ」とつっこまずにはいられません)

言葉は妙にリズミカルなメロディーに乗ってスムーズに流れていきながら、最後でなぜか字余りになります。深読みすると、結局のところ不安定な「あたし」の気持ちを表しているのかもしれません。

2006年11月26日 (日)

「泥海の中から」

これもシンプルなサビと歌詞が繰り返される曲です。悔やむだけでは変われないから歩きだせよ、と聞き手を励ましている曲だとシンプルに受けとってもいいかと思います。

しかし、「振り返るな」ではなく「振り返れ」という言葉から、決して過去を水に流したわけではないという気持ちや、「おまえが殺した」などの言わでもの言葉が出てくるところから、むしろ「おまえ」を責めたてているようにも聞こえます。

筆者は最初、自分を振った相手を素直に励ませない「名も無い鳥」が怨み節を混ぜつつ、「謝られても嬉しくないわよ。いいから前に進みなさいよ」と言っている曲かと思ったのですが、そうそう一方的に解釈できる曲でもないようです。

全ては自分自身に向けて歌ったものだとするならば強力な自責と決意の曲だとも受け取れますし、「振り返れ~」は自分自身へ、「許せよ~」は「おまえ」への言葉だと解釈すれば、訣別を主題にした曲だと取れます。

聞き手の解釈しだいで変わる曲である。などど、当たり前すぎる(そして怠慢な)結論ですが、それが顕著な曲だと思いました。

2006年11月18日 (土)

「タクシードライバー」

サビの「タクシードライバー」のメロディーがとても印象的で象徴的な曲です。

情景はとてもシンプルで、タクシーの中に泣き顔の女とそれを無視するタクシードライバーがいるだけです。しかし、その中で起伏する感情はとても複雑で一概に「あたし」はこういう気持ちだとは言えないと思います。

思うに、タクシードライバーは苦労人ゆえに泣き顔を見て見ぬふりをする優しさを持ち、また、タクシードライバーは苦労人ゆえに泣き顔を見て見ぬふりをする冷たさも持っていると思います。

「あたし」にしても、酔っ払いの自分を相手することは嫌だろうなとは十分わかっており、また、これほど落ち込んでいる時にタクシードライバーと会話を楽しみたいとは考えていないでしょうから、放って置いてくれることは有難いでしょう。しかし、同時にこれほど落ち込んでいる時に全くマイペースに野球の話などをするタクシードライバーの白々しさに腹立ちもしているはずです。

そんな微妙な距離感、お互いに関わりたくないのに同情と共感が交錯し、それでいて解り合うとまでもいかない、そんな場でこみ上げて来る腹立ちと感謝と虚しさを込めた呼びかけが「タクシードライバー」ではないかと思います。

2006年11月12日 (日)

「裸足で走れ」

「裸足で走れ」と歌いながらも全く推奨しているようには聞こえません。むしろ裸足で走り回っているのは中島みゆきの方で、「なんで裸足で走っているかって?独りになるのがこわいからさ」と自問自答しているような感じがします。

この歌に出てくる人物はみな他人です。軽薄で酷薄で、他人事だと思って適当な言葉を投げかけてきます。そんな他人に囲まれている、と自覚したときが一人であることを最も意識してしまう瞬間でもあるのでしょう。

たとえガラスの荒地であろうとも突っ走って、そのことを忘れなくてはならない。じっとしていては一人になってしまう……

などと、解釈してみましたが、間違っているかも知れません。もっと毅然とした歌なのかもしれないし、もっとメッセージがこもった曲なのかもしれません。

しかしながら、前作からのイメージを引きずっている筆者の印象は、振られて人間不信になった中島みゆきが「おまえも詐欺師だ。おまえも詐欺師だ。」と言いながら半恐慌状態であらぬ方向へ駆け出したというイメージです。

大丈夫だろうか。

と、要らぬ心配(妄想)をしながら、今アルバムも展開を楽しみにしつつ少しずつ聞いていこうと思います。

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