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2006年9月 2日 (土)

「時は流れて」

「今まさにここにあるリアルタイムな感情」が中島みゆきの歌の特色である。と、いうのが30曲ばかりを聞いた筆者の現時点での結論の一つです(初期の方で既に盗賊さんも言っていますが)。

この曲も「時は流れて」という一見人生への達観を感じさせるタイトルでありながら、まったく達観や悟りなど無く「あたし」のリアルタイムな嘆きが描かれます。

時は今まさに流れていて、そして今リアルタイムで流されている「あたし」が溺れるように生きている中、美しい過去を一瞬思い出してしまったという悲しみを描いた曲だと思いました。

こういう曲は一歩引いて聴いてしまうと、単に酔っ払いが愚痴っているだけのようにも聞こえます。そこら辺がファンとそうでない者を分けるのだろうと思います。

 

さて、蛇足ですが予想をひとつ。

盗賊さんがどこかのコメントでこのアルバムを「名盤」と言っていましたが、名盤とは完成度が高いアルバムに対しての評価であることが多く、一度そうやって自分のスタイルを完成させてしまったミュージシャンは次回作で思い切った方向転換や曲調の変化を起こしてファンや批評家の不評を買うことがしばしばあります(と、言い切れるほど実はたくさんのミュージシャンを知りませんが)。

ということで、中島みゆきの次回作はきっとこれまでとは違ったカラーの「問題作」ではないでしょうか。いえ、決して飽きてきたわけではありませんよ。

2006年8月26日 (土)

「サーチライト」

ブルースとは何か、筆者はさっぱり知りません。この曲を聴く限りはブルースとは随分と落ち込んだ音楽で、大人や年寄りが虐げられ嘆き暮らして、夜がずっと続いているようなものなのだな、と思います。

その中でも中島みゆきは「なめんじゃないわよ。あたしが一番悲しいのよ」と、暗黒の宇宙空間のブラックホールの如く一際真っ黒な存在として(逆の意味で)輝いています。「サーチライト……」のくだりで悲しみは狂騒の中へと吸い込まれてゆき、聴いた後はむしろ爽やかな気分になれます。でも多分この人はサーチライトを当てても光らないんじゃないのでしょうか。

無論、この極端な暗さはユーモアを含み、おどけたように陽気なベースのリズムと相まって曲の印象は好いものです。意外と楽しめる曲だと思いました。

2006年8月20日 (日)

「勝手にしやがれ」

激しいタイトルとは裏腹にスローテンポでゆるゆる心情を吐露していく、不思議な雰囲気な曲です。

歌詞はストレート過ぎるほどに心情そのままを書いているように見えます。そのためにかえって深読みをしてしまいそうです。

わがままでいたいけど、一人ではいたくない。自分自身の欲望だけでは満たされず、他人の欲望までとりこみたいと思う。このような「他人のエゴを満たしたいというエゴ」は通常の身勝手(自分だけ良ければ良いという考え)では説明がつかないため、身勝手を超えた身勝手という意味で「超身勝手」と名づけたいと思います(だから何だと言われれると困りますが)。

そんなわけでこの曲は「超身勝手な女」の曲だと思いました。何てややこしい女だ、と深読みの挙句にそんな感想を持ちました。

2006年8月12日 (土)

「ホームにて」

静かな演奏で歌を十分に聴くことができる曲です。こういう曲を聴くと「このひと歌上手いなあ」という身も蓋も無い素人の感想が湧いてきて、特に他に言うことも無いような気がします。

故郷に帰れる人達を羨みながら望郷の思いを綴っていますが、結局のところ帰れないのは何故でしょうか。「走り出せば間に合うだろう」と言っているので物理的な理由で帰れないのではなく、「かざり荷物」や「ネオンライト」にしがらみがあって帰れないということでしょう。

この歌は「帰る」という選択肢を自分の意思で切っているように聞こえました。故郷を捨てて敢えて街にいなければならない理由がある、けど故郷への想いまでは捨てることができない、という気持ちを歌った曲だと思いました。

と、いつものように歌詞の解釈になってしまいましたが、私の感想は「このひと歌上手いなあ」に尽きるのです。

2006年8月 5日 (土)

「朝焼け」

とてもオーソドックスな曲構成、素直で易しい言葉、抑え目のメロディなどのため、とても地味というか普通な歌もの、という印象です。

大抵の歌では「ふたり」というフレーズは「あなたとわたし」を指し、寂しさや孤独を打ち消す言葉として使われます。しかしこの曲では「あなたと、わたし以外の誰か」を指すため、むしろ孤独を強調する働きをしています。歌詞の最後を「ふたり」で締めることで、「わたし」が「ひとり」であることが強力に印象付けられています。

さて、一見孤独であることに恨み言を述べているような歌詞は実際のところも恨み言だとは思いますが、「あの人」や「例のひと」ではなく自分に向けられているような気がします。

切ないような恨めしいようなやり切れないような気持ちがサビで爆発…することはなく、モヤモヤした気持ちのまま朝を迎えてしまったという「一体自分は何をやっているのだろう」という悲しさを歌った曲ではないかと思いました。

2006年7月29日 (土)

「女なんてものに」

嘆きは嘆きであってどうしようもない。

と、主張したいわけでもなくただひたすら嘆いている印象です。情感たっぷりのボーカルとストリングが相まって金曜ロードショーが始まりそうな雰囲気にややついていけない感を覚えました。

歌なんだからいいじゃないかと思いつつも、こんな人が側にいたらさぞ持て余すのだろうな、と冷たい筆者は思うのです。

2006年7月22日 (土)

「まつりばやし」

やっぱりくら…いや、こんなに寂しい曲とは予想していませんでした。

恋を失った喪失感や、まつりばやしのせいで際立つ孤独感、さらにはずっとこのままだろうという予感まで歌われ、人生を過去から未来まで暗色で塗っているような悲しさがあります。聴いてる筆者も寂しい気分にならざるを得ません。「ひとは誰でも」って俺の人生まで一緒にするなこのやろう。

と、久々に言い掛かりをつけてみましたが、歌にストーリーがあり、同じリフが延々繰り返されるスタイルにも関わらず飽きは来ません。悲しい物語好きの人にはおすすめの好曲だと思いました。

2006年7月15日 (土)

「店の名はライフ」

ゆっくり目のテンポと発音の頭に小さい「ん」が入る感じのやや舌足らずな歌い方で、NHKみんなの歌に入っていそうな雰囲気の曲です。

グダグダ感もありますが全体的に視線が優しげなせいか、合間のアンサンブルが綺麗なせいか、相変わらずのリフレインも心地よく感じます。雑多としていながらも憩いの場である「ライフ」の姿が見えるようです。

もっとも、詞を読み進めると「ライフ」いう店が少なくとも一回は潰れていることがわかります。深読みするとそんな店は初めから存在しないとも思えて、少し怖くなります。

店を中心に置きながらも、時の移り変わりとそれでも憩いの場を求めて集まってくる人間のことを歌っている曲だと思いました。

2006年7月 9日 (日)

「遍路」

今日からアルバム3枚目に入ります。

暗い、やっぱり暗いよのっけから。

ただし、男に捨てられたことをほぼリアルタイムで嘆いていた前作と違って、この曲はその事実を比較的突き放しているというか、すでに思い出と化しているような印象を受けます。

穏やかなメロディとボーカル、バックで流れるストリングなどの音からの印象に過ぎないかもしれませんが、遠い幻想を歌っているような美しさと切なさがあると思いました。

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