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2006年7月 1日 (土)

「忘れられるものならば」

最後の曲に相応しく、普遍的な歌詞とメロディーを持ちながらも余韻を残す曲。でもテーマは相変わらずで、「雨が空を捨てる日は」で盗賊さんが語った「忘れられない」気持ちは結局最後まで忘れられないまま終わっています。

楽曲的にはバラエティに富んでると思えるアルバムですが、「未練」が首尾一貫しているせいかどの曲にも暗さを感じてしまい、また、テーマがテーマだけに後味も良いとは言えません。

一歩引いた立場で聴ける筆者だから大丈夫ですが、共感できるような環境で聴いてしまったら非常に効いてしまいそうです。

と、なんだか否定的な感想(しかも曲というよりアルバムの感想)になってしまいましたが、中島みゆきのパーソナリティ(の一部)を露骨なほどに味わうことができるという意味で、非常に嗜好的な作品であると思いました。

2006年6月25日 (日)

「妬いてる訳じゃないけれど」

第一印象は「またか」と。

「おさえていてよ」「迎えに来てよ」などと命令しつつも基本的に受身な態度であるために、煩くて、わがままで、かつ自主性のない非常に厄介な女性像が目に浮かびます。

無論この歌のシチュエーションに同情できないこともないのですが、その嘆き方が恨みごとのような呪いのような、強い情念と執念を感じるため「ごめん、俺にはフォローできない(というか関わりたくない)」と思ってしまうのです。

同情はできても共感はできない、ついていけないといった感じです。

ところで歌詞カードで最後の出てくる「少しの間」が歌では飛ばされていますが、これで正しいのでしょうか。歌詞カードと実際のボーカルが違うということは良くあることですが、中島みゆきで見るのは初めて(だと思う)なので。

2006年6月18日 (日)

「うそつきが好きよ」

これまでにないポップさに意表をつかれました。歌詞も七五調で非常に歌謡曲っぽいですが内容は今までどおり暗いものです。

酒と嘘に溺れたいという自暴自棄な歌詞ですが、酒はともかく嘘をついてくれる人はいないような雰囲気です。今なら誰の誘いでも乗ってやるという時に限って誘ってくれる人はなく、ひたすら酒を飲んでいる歌だと思いました。

それにしてもアルバムを通して孤独さのみを歌い続けているかのような印象です。ボディーブローが延々続くような。この重さがファンには堪らない。のでしょうか。

2006年6月11日 (日)

「03時」

素直に感想を書いてしまうと、「またか」と。

とてもストレートな歌詞と聴き馴染みのある節である上、12曲中の9曲目とどうしてもだれがちな位置にあるため、アルバムの中でも印象が薄い方ではないかと思います。

ところで中島みゆきは免許を持ってるんでしょうか。なんとなく運転している姿が想像できません。勝手過ぎるイメージですが中島みゆきにマイカーは似合いません。

このアルバムでは、トラック、バス、汽車といった乗り物が出てきますが、マイカーは(多分)出てきません。黄色いジャケツのあの人がマイカーでやってきたり、「おじさん、マイカーに乗せて」だったりしたらアルバムのイメージが台無しです。

この曲でも夜汽車ですれ違う場面がハイライトです。すれ違う瞬間の感情の高まりと、未練の糸を引きながらも互いに別の場所へと向かっていく情景は、やはり夜汽車でなくてはならないのでしょう。

2006年6月 4日 (日)

「夜風の中から」

男視線で書かれているものの共感ができず、曲調が地味で繰り返しが多いことも手伝って最後まで聞いているのが辛い曲でした。

「別れた女が自分が昔住んでた場所に居る」ということがこの曲の肝であろうことは解りますが、思い出の場所や時にこだわりを持つのは(筆者の偏見では)むしろ女性的だと思います。単に筆者の情が薄すぎるだけかも知れませんが、そのシチュエーションがもたらす切なさだとか未練などが感覚的に理解できません。

このアルバム全体の主人公は「浮気でやくざな女」だと思いますが、この曲ではあえて男目線にすることにより、主人公を別面から書き出そうとしているのかと思います。ですが、先に述べた理由により筆者には捉えることが出来ませんでした。

2006年5月28日 (日)

「冬を待つ季節」

曲はかなり地味な印象で、音楽的素養の無い筆者は語ることができません。今回は(いつものような気もしますが)歌詞の解釈をやりたいと思います。

吹っ切れていないために時間が正常に流れない、という内容だとは思うのですが何故待っている季節が冬なのか。結局の所は中島みゆきでないとわからないとは思うのですが、ずいぶん悩みました。

私なりの解釈は「春(夏、秋)は繰り返している」とは「彼との楽しい思い出を繰り返し思い出している」であるということです。じゃあなんで冬だけ思い出さないかというと、冬に訣別のイメージを託しているからです。冬を待つとは吹っ切れる時が来るのを待つ(=今は吹っ切れていない)という意味かと思います。

中島みゆきの歌詞には逆説的な言い回しが良く出てきて、筆者は毎回そこにひっかかり翻弄されます。技巧的なものというより性格的なものじゃないかと疑っているのですが、中島みゆきはひねくれ者なのでしょうか。

2006年5月20日 (土)

「五才の頃」

「おもいだしてごらん いつつのころを」のフレーズを延々5番まで続けるという、どことなく小学生唱歌を思い起こさせる構成と、それでいて小学生が歌っていたら殴りたくなるような回帰の想いを綴った歌詞。

過去を懐かしんで涙を流す曲ではなくて、「泣けなくなった」、「泣き顔が無い」と書いているのでむしろ現在の自分を見つめている曲かと思います。泣けなくなったのは汚れた大人になったせいなのか、それとも我慢強くなりすぎて表情が失われていったのか、どちらにしても社会に揉まれる壮齢の人向けの曲だと思います。

でも、この曲を発表時の中島みゆきは20代なんですね。なんでこんな曲ができるんでしょうか。年は関係ないのか。

2006年5月13日 (土)

「真直な線」

抽象的でありながらストレートさもある歌詞。ファンキーかつ歯切れの良いボーカルと演奏。それでいて情緒とやり切れなさもあるのでこんな曲に弱い人もいるだろうなと思いました。

筆者もやはり好きなのですが、中島みゆきというともっとポピュラーなポップミュージック、またはフォークな曲というイメージが(何故か)あったので、年いった水商売のねーちゃんが煙草の煙と同時に毒をはいているような曲に会うとまだ戸惑いを感じます。

中島みゆきの幅の広さなのか、この時期はそういう作風だったのか、よくわかりませんがこのアルバムはこのカラーで統一されていそうな予感です。

2006年5月 7日 (日)

「流浪の詩」

長い前奏はプロローグ的なものを暗示しているのでしょうか。タイトル通り女一人(+猫一匹)でさすらっている曲です。意外なほどにポップな曲調です。

「彼女の生き方」でもそうでしたが、風に吹かれて町から町へ自由気ままに動くというより何者かに追い詰められて町を逃げ出すような印象です。中島みゆきが言うところの「風」とは自由の象徴ではなく、良いも悪いも含めて自分を突き動かす運命のような力を指している気がします。

その他にも「あの人」とは何者か、「黄色いジャケツ」とは何のことか、など謎や暗示が多い曲です。が、考えてもわからなさそうなので解釈はあきらめました。こんな解説ですいません。

まだ4曲目ですがこの漂流しているような孤独感はこのアルバムの象徴となる曲ではないかと思いました。

2006年4月30日 (日)

「トラックに乗せて」

おじさん、おじさんと連呼しながらおじさんの事など全く眼中に無い、かなりエゴイスティックな曲だと感じました。

トラックに乗っているのではなく「トラックに乗せて」なので、どこか遠いところに逃げていきたいと妄想している曲だと考えられます。確かにトラックはそんなイメージにぴったりです。

こんな陰気でいっちゃってる人を乗せたら大迷惑だろうな。妄想だからいいんですけど。

前々から感じてはいましたが筆者は中島みゆきの愚痴っぽさには今ひとつ乗れません。筆者の器が小さいせいでしょうか。是非ファンの感想を聞いてみたい曲です。

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