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2007年9月23日 (日)

「歌姫」

歌とはただ歌なだけであって、「歌い手が何を言いたいのか」、「歌い手がこの歌で主張していることは何か」など無くてもいいことで、解らなくてもいいことです。

それでもこの歌は何事かを訴えかけているようであり、結局のところそれが何かは筆者にはわからないのですが、歌姫はその思いを受け入れる象徴のように思います。

そういう解釈においては、この歌で描かれる歌姫とは実体のあるものではなく、波間の陰の夢や哀しみや欲望を歌姫の形に託しているのであって、それだけに儚くも美しく佇む姿が見えるようです。

中島みゆき自身が歌姫なので、その辺の背景も含めて深読みしていくと、この曲の解釈は果てしなくなりそうです。筆者は、歌姫とは思いを託された波のことだと思います

2007年9月16日 (日)

「砂の船」

前曲とはうって変わって抽象的というか、文字通り「夢」のような光景が繰り広げられます。「アリバイは証明できるかい」などと言っていた前曲から、その表現方法は対照的であるものの気持ちは継続しているように思います。

この曲は基本的に寂しくて陰気で、厭世観さえ漂わせていますが、ただ一つ「砂の船がゆく」に籠められた盛り上がりによって、単に無常観を歌った曲ではなく、非常に劇的な歌に仕立て上げられています。

「砂の船」とは沈みゆく僕の気持ちを表しているのか、それとも儚い浮世の象徴なのか、筆者には断定できませんが、それが砂であっても、どこへ向かっているか定かでなくても、とにかくも何者かが今動き、進んでいるということへの感動や恐怖がこの一節に籠められていると思います。

そういった意味で、この曲は何があってもとにかく進んで行くしかない、という決意や転機の位置づけに当たる曲ではないか、と感じました。

2007年9月 9日 (日)

「時刻表」

君は疲れているんだよ、ただそれだけのことなんだよ、と思わず声を掛けたくなるほどに疲れて、気力を無くしてしまっているかのような曲です。
繰り返される街角や生活の描写は本当に疲れているときに聞いたら凹んでしまいそうなほどのリアリティがあります。

勿論、歌において現実の描写とは単に事実の写像というだけではなく、そこに批判や同情などの気持ちが込められますが、この曲ではその気持ちが発動することもなく、ただなすこともなく眺めるだけの無力感が漂います。何か救いがあるとか希望があるとかいう雰囲気は全くありません。

それなのに僅かに慰められているような気になるのは、単に優しげなメロディーのせいなのか、それとも疲れた歌声に共感を呼び起こされるせいなのか、不思議な感があります。それこそ字面だけでは説明できない歌の力とでもいうべきなのでしょうか。

2007年9月 2日 (日)

「家出」

箸にも棒にもかからないことが多かった今までの曲に比べると「家を出てきてくれないか」などと言って貰えるこの曲は念願叶ったと言えるかと思います。

しかし、念願叶ったら叶ったで不満は生じるようで、「あなたのことを誰かに褒めて欲しかった」「あなたを産んだ人とケンカしたかった」など、愛と引き換えに家を出ることに不満たらたらのようにも聞こえます。お前さっきまで「捨てるほどの愛でいい」って言ってなかったっけ、などと別の曲を持ち出して責めたくなるような気持ちに一瞬なりました。

それはともかく、家を出ると決意してもなお残るためらいや疑念を月光が無残に照らし出す部分にこの曲のリアルさがあると感じました。それは美しい愛のみでは生きていくのに不安であることと、愛以外にも大事なものがあるのではないかという迷いの正直な告白であると思います。

そんな状況では愛を再確認せずにはいられないわけで、この曲のクライマックスで「言葉にしてよ」「耳を貸してよ」と歌うとき、愛への疑問と追従、さらには愛以外のものをかなぐり捨てる決意が混ざり合って激情と化しているように思えます。

そういう意味で愛以外の余計なものに光を当て、疑問と不満を表に浮かべているように見えながらも、実際は「あなた」への激しい愛を主題に歌っている曲であると思います

2007年8月26日 (日)

「B.G.M.」

タイトル通りにBGMとして聞いた方が良いというか、綺麗なメロディーだなと思いながらも小声で歌詞がよく聞き取れず、耳を澄ませてよく聞いてみると、かなりストーカーチックで不気味な歌詞に寒気が走りました。

無論、25年前の曲に対して現在の感覚でストーカーっぽいと言うのはズレた感想ですが、これ程の浸りっぷりと、その感情を伝えるわけでもなく、秘めるわけでもなく、ただ楽曲に紛れ込ませ、「B.G.M.」と名付けるあたり、「恨み」の本質を抉り取っているような怖さがあります。

一見、つつしまやかな綺麗な曲だと思わせておきながら、真夏の怪談の如く背筋が寒くなる曲だと思いました。

2007年8月19日 (日)

「捨てるほどの愛でいいから」

やはり感想など持ちようがないと言うか、感想などどうでもいいというか。本人が「夢でもいいから 嘘でもいいから」と言うとおり、この歌は露骨なほどに夢であり嘘であり、ただ気持ちを吐き出すことだけを主眼に置いていると思います。それだけに突っ込みようがなく、「それ夢だよ」などとは口が裂けても言えない雰囲気です。

以下、言わでものことかもしれませんが、非ファンの筆者はこういった中島みゆきに接したとき、心から同情も出来ず、かと言って「俺がみゆき(仮)を守るぜ」という気分にもならず、例えるなら重いボディーブローを貰ったようながっくりとした気分になります。

ファンならみゆき(仮)を抱きしめたいような気持ちになるのでしょうか。男女でも受け止め方が違いそうな、そういう意味で一般的とはいえない非常にアクの強い曲だと思いました。

2007年8月12日 (日)

「鳥になって」

単にここを去りたいだけではなく、「できるなら 鳥になって」というあたりに強い感傷を感じました。

東西を問わず多くの神話や昔話で、主人公がどうにもならない悲しみに直面したとき、或いは取り返しのつかないことをしてしまい事態の収拾がつかないときなどに、別の生き物に変化してこの世から消え去ってしまうことで物語の決着をつける、ということがあります。
そのとき我々は主人公に果てしない哀れみと、別の存在に成り変われたという希望のような感情を抱くはずです。さらに言えば、別の存在に成り変わるという事象は現実には有り得ず、希望といっても多分に空想的で物語的なものだと思います。

この歌は本気でメタモルフォーゼしたいと妄想しているわけではなく、「できるなら」という言葉をいれることで、そんなことは現実には有り得ないということを多分に意識しています。
それでも消え入りそうな声で「鳥になって」と歌うとき、この歌のセンチメンタリズムが最高に達し、物語が美しく完結するような気分になれるのだと思います。

2007年8月 5日 (日)

「傾斜」

「としをとるのは素敵なことです そうじゃないですか」と言われる度に「そうじゃありません」と答えたくなる程に逆説的な曲です。

テンポの良い、陽気なサビは狂気をはらんでいるようで、強力なインパクトがあります。
このサビは開き直りのようでもあり、皮肉のようでもあり、背負い切れない悲しみが坂道を転がって我々にぶつかってくるような印象を受けました。

無論、ぶつけられたところでどうしようもなく、ただ呆然と坂道の老婆を見続けるしかないのですが、おそらく他人にどうして欲しいという曲でもなく、ただやりきれない悲しみを歌った曲のように思いました。

2007年7月29日 (日)

「悪女」

「悪女」といえば誰もが知っているヒット曲で、一度聞いただけで覚えられるようなポップでキャッチーなメロディーと、突き抜けるようなサビが爽快で印象的、なんてイメージを持っていました。

が、初めて自宅でCDをかけて聞いてみれば、中島みゆきが酒を飲んでくだを巻いているような雰囲気で、キャッチーさなどは敢えてぶつ切りしてしまっているように感じました。
途切れ途切れに吐息をついてるような歌い方は爽快感から程遠く、或いはこれがこの歌の本来の姿なのかと思いながらも、その割にはポップさも捨て切ってはいないようなやや中途半端な印象も受けました。

思えば、歌詞的には100%ふられ歌で、その悲惨な状況をあれほどに鮮やかなサビにのせて歌い上げるところに何かが昇華したような突き抜け感があるわけですが、それは恨みや愚痴のような薄暗い感情とも表裏であって、この曲はその表裏が見え隠れするゆえに、聞き手の気分など少しの違いで大きく聞こえ方が異なるのかもしれません。

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