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2007年7月22日 (日)

「夜曲」

詞だけを見ると粘着質で独善的な匂いすら漂うきつい曲なのに、メロディーと歌声が加わると、控えめで切なく美しい愛の歌のように聞こえます。

単に歌が上手いから、というだけでなく、おそらくこの曲が純粋な呼びかけの曲、Callの曲であって、言葉の意味や論理よりも相手を気付かせ、振り向かせるための歌声そのものの方がより重大な要素となっているからだと思います。

それでいて、「みんなあなたのことを歌っているのよ」を繰り返す様は、呼びかけても呼びかけても返事がないようであり、「夜曲」とは夜の灯りの中で見失った人を呼び続ける曲なのだと思いました。

2007年7月15日 (日)

「成人世代」

おそらく百年前の成人世代も大人からはしらけた世代と呼ばれ、子供からはずるい世代と呼ばれ、そして夢やぶれていたわけで、この歌はそんな誰もが経る時期をことさらに「だれもが心でそう思う」と断じることで、聞く人間の心に容赦なく踏み込み、共感を呼び起こします。

そう思って聴くと、ひたすらに繰り返される「夢やぶれ いずこへ還る」のフレーズが果てしなく繰り返す世代の循環への哀悼を表しているようで、サビの盛り上がりと重なって大変壮大に感じられます。

スケールの大きい感動的な曲だと思いました。

2007年7月 8日 (日)

「友情」

友情は相互のものなので、傷つけられるだけならばまだ失ったとまでは言えず、傷つけ返すことによって止めを刺すことになります。

この曲では友情を失った世界を獣ばかりが棲むような惨憺たるものとして描いていますが、一方で自らをそこへ突き飛ばそうとしており、わかっていながらも止められない自分の行為を「救われない」と表現しているように思います。

既に友情を無くしている荒涼とした世界を呪っている曲のようにも聞こえますが、実はそうではなく、今まさに友情を失いつつある「私」の苦悶と葛藤を描いた生々しい感情の曲のように思いました。

2007年7月 1日 (日)

「バス通り」

どことなく妄想チックなこの歌は、ウィンドウ越しにそんな幻を見た、という話のように聞こえました。

その幻を見た一瞬に、凍結していた一年半が一気に流れ出して今に追いつく、走馬灯のようなフラッシュバックのような、心の中の時間の奔流を描いた曲だと思います。
さらに、ガラスの指輪を外すのみならず「落とす」ことによって、その一瞬を流れを変える特異な一点として固着し、ひいては新たな流れを予感させているのだと思いました。

以上、妄想はむしろ筆者の方だという気がしないでもありません。中島みゆきは時々、時間の流れを幻想的に描き、筆者はそれに翻弄されているのだと思います。

2007年6月24日 (日)

「雪」

前曲よりさらに聞いたままというか、素直な曲であって、その分感想が書きづらく、突っ込みどころが少ないように思います。

ここには「あなた」の描写は少なく、「あなた」を失った「私」が立ちすくむ様子が描かれます。そこから「あなた」との別れが唐突であり、「わたし」が別れを受け入れられずにただ困惑している雰囲気が察せられます。

雪は手を延ばせば儚いものの、気が付けば足元を白く染める厄介なものです。この曲では「あなた」は雪のように儚いと言いつつも、「あなた」への想いはふり積もって途方に暮れる程である、と言っているように思いました。

2007年6月17日 (日)

「ひとり上手」

聞いたまま、というか誰が聞いても理解できる普遍性、客観性があって、完成度が高いという印象です。
「ひとり上手と呼ばないで」という叫びには、相手にまだ縋ろうとする気持ちと、それを自嘲する気持ちと、さらには吹っ切ろうとする気持ちも含まれており、それらのどれかが突出することなく、一つの言葉の中に共存しています。
全般的に理性とエゴのバランスが取れ、全てが程よく出来ている曲のように思います。

と書くと、えらく中途半端な曲と批判しているように見えるかもしれませんが、実際のところ筆者にとってこの程よさは好印象であり、割ときつい曲も多い中、中島みゆきの優れたバランス感覚を見たような気がして安心感すら感じます。
別曲でも書いたような気がしますが、この曲にも日陰の安心感があるように感じました。

2007年6月10日 (日)

「あわせ鏡」

敢えて中途半端という言葉を使うことを許して頂きたい。この曲は中途半端にポップであり、中途半端にお洒落であり、中途半端に蓮葉で、中途半端に泥臭く、それらの中途半端さが堪らないようなリアリティを生み、とびきりにネガティブである、と思いました。

この中途半端な印象はこの曲が独り言という形式をとっていることから来ているように思います。
ただ浮かんで消える感情を言葉にしたような構成で、独り言であるからにはそれら一つ一つの感情を削って整合させ、他人がわかるような結論に纏める作業は必要ありません。
半端でいびつなままの感情は内臓のようなリアリティを持ち、聞く側をいたたまれないような気持ちにさせます。
また、これらの感情は独り言ゆえに発散することも解決することもなく、ただ自己内でひたすら反射するだけのことで、それをどれほど繰り返そうともあくまで自己内の出来事であって、自己だけで完結する事柄です。

完結はすれど完成せず、ある意味で救いようのないネガティブさが、聴く側を戦慄させる曲だと思いました。

2007年6月 3日 (日)

「あなたが海を見ているうちに」

美しさがあり、寂しさと悲しさと切なさもあり、よく聞けばぞっとするようなエゴもあり、それでいて他者への気遣いもあり、それらが海沿いの情景と重ねられつつ、ひたすらな反復にまとめらます。
これだけの要素がちりばめられながらも分裂した印象にはならず、不意の盛り上がりまでつくるところに中島みゆきの卓越した才能を感じます。

しかし、これだけ良く出来ている曲にも関わらず、筆者の心に今ひとつ響きませんでした。単に筆者の今日の気分にそぐわないだけなのか、或いはもっとシンプルな曲が筆者の好みなせいなのか。

筆者に限ったことかもしれませんが、中島みゆきの曲には「もうわかった、もうわかったから勘弁してくれ!」と言いたくなる様な、複雑で晦渋な正体不明の恐怖とも呼ぶべき情念があります。その情念は嫋々としながらも延々と続き、非ファンの筆者はいつまで経っても馴染めない感覚があります。

今回は静かなこの曲に久々にその恐怖を覚えました。

2007年5月27日 (日)

「あした天気になれ」

傷つきたくない、失望したくない、という心の弱さが吐露されます。曲全体に漂う雰囲気は切なさというより情けなさであって、もしかすると今までの楽曲のなかでも最も飾らず素直に弱さを表現した曲かもしれません。

サビから「明日天気になれ」までの歌声は叫びと言える程は力強く無く、悲鳴と呼ぶには妙にポップな雰囲気で、言いたいことを言い尽くしてないようなもどかしさが残ります。
深読みするなら、敢えて全力で歌わないことで、本音を隠して逃げ道を残すという、この曲のテーマであるところの臆病さを表現しているのではないか、と思います。

これまでもそうでしたが、アルバムの一曲目はいつもスカッとはしません。不安のような、わだかまりのようなモヤモヤを抱きつつ、次曲へと続いくように思います。

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