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2013年10月20日 (日)

「月はそこにいる」

「私ごときで月は変わらない」という不思議というか埒もないように思える詠嘆が、諦めの境地を表しているのか、単に諦めというより何か荘厳な決意が秘められているのか、とにかく只事ではない雰囲気を醸しだしている曲だと思います。

月が輝く夜の時間に対比して灼熱の砂漠または高い岩山の上という情景が描かれますが、どちらも自分に対して過剰であるような場として歌われていると思います。そういう場違いさ、降りるに降りられない立ち位置に疲れはてたときにふと見上げた月の輝きに対して、「私ごときで月は変わらない どこにいようと 月はそこにいる」という感慨は、自分の卑小さ、敗北感、というようなものも多少は含むかもしれませんが、それ以上に私は何をしてもいい、私がどうなろうとも月は変わらずそこにあるだろうという、一種の安心感というか悠然と輝く月に闇の中の希望を見出しているのだと思います。

もしくは整理された気持ちを歌うのはでなくて、凛然と輝く月の眩しさにただ圧倒された、何かこみ上げてくる気持ちがあった、という感慨を歌う曲なのかもしれません。
「常夜灯」とは或いは月のことなのか、昼の全てを照らす明るさではなく、夜に浮かぶ道標のような限られた自分だけの光を歌っているような気がしました。

2013年10月13日 (日)

「風の笛」

つらいことをつらいと言えず、言いたいことを言えば大切なものが傷つく、そんな状況のとき、中島みゆきの歌では暴発しちゃえよとはそそのかさず、歌や海などに思いを託して、誰に気付かれることもなく風に消えていくことが多いような気がします。

この歌の「風の笛」とはどんなものかはっきり示されているわけではありませんが、曲中に流れる風のような笛の音のような効果音から察するに、穏やかなものではなく、やや甲高く、何かを引き裂くような、多少の悲壮感と寂しさ、叫びに似た感情の高まりを表現するもののように思います。
風の笛を吹いたから何だ、問題が解決するのか、と言われれば何も現状が変わるわけではないでしょうが、言葉に出さないと決めた人間の慰めとして、或いは言葉にできない感情を託す、論理ではない音楽として風の笛はあるような気がします。

「お前に渡そう風の笛」という詞は、思いを言葉にして出すことは出来なくても、せめて気持ちだけは伝えてもいい、誰もがそうしていい、と中島みゆきが言っているような、そんな気がします。

2013年10月 6日 (日)

「ランナーズ・ハイ」

「ランナーズ・ハイに違いないわ」が、妙に上ずったような声に聴こえ、限界いっぱいいっぱいなのに何故か走ってしまう、疲労と恍惚が混ざり合った奇妙な高揚感を醸しだしていると思います。

「愛か歌か」というような歌をあきらめなければまっとうに暮らしていけない、社会の除け者にされるような状況が描かれています。「なぜ両方じゃダメなの」と苦悩しつつ、苦悩しつつも「歌ったら停まらない」というのが結論で、二者択一の状況になったら迷わず歌を取る、取らざるを得ない、そんなミュージシャンの性が描かれていると思います。
「心は常に折れてる 副木をあてて生きてゆく」と情けないような壮絶なような決意があり、そういう意味では「なぜ両方じゃダメなの」は歌をとることが明確であるからこその苦しみであって、悩みはあっても迷いはない、一種の覚悟を歌った曲だと思います。

何となくミュージシャンは太く短い人生を送っているようなイメージがありますが、この歌の主人公は長距離ランナーさながらに歌を歌い続けているようで、倒れるまで停まらない停まれない「ランナーズ・ハイに違いないわ」というのは言いえて妙だと思いました。

2013年10月 1日 (火)

「オリエンタル・ヴォイス」

正直に言うと良くわからないのですが、良くわかってしまったらこの曲は台無しになるような気もして、とにかくミステリアスでいて、一種の哀愁を漂わせた不思議な雰囲気の曲だと思います。

「あなた」は私のことを全然わかってなくて、会えない人の面影を重ねて「私」を見る、「私」はそれを非難しつつも恋はたぎるばかりで、いっそ知らない私になってしまいたい、そもそも私って何だろう、私は何処にいるのだろう、と苦悶する。要約的にまとめてしまえばそんなストーリーなのかもしれません。
そして、オリエンタル・ヴォイス とは何なのか、やはり筆者には良くわからないのですが、この曲に漂う悲恋の匂い、そしてこの道に迷ったような混沌として謎めいた雰囲気がオリエンタルなのではないか、と想像します。

或いは恋にたぎっているのは「あなた」だけで、「私」はひたすらそれをはぐらかす、そんなミステリアスで神秘的な魅力を持った女性を描いた曲かもしれず、そんなどうとでも解釈できるこの歌自体が霧の中のオリエンタル・ヴォイスなのかもしれません。

また更新が遅くなってすみません。うっかりしただけで特に何かあったわけではありません。

2013年9月22日 (日)

「スクランブル交差点の渡り方」

「人に酔ったみたいなことです」に集約されていると思うのですが、複雑すぎる人間関係に眩暈がして、逃げ出したいと思っても結局そこでしか生きられない、そんな愚痴を聞いているような、溜息を聞いているような(実際ついてますが)歌だと思います。

「初めて渡ったときは気分が悪くなり しばらく道の隅で休んでいました」というのはメンタルが脆過ぎないか、という気がしないでもないですが、無論、ここでいう「スクランブル交差点」とは象徴的なもので、あまりの人の多さ、乱雑さについていけないという気後れ、衝突を巧みに避けて身軽に進んでいくような真似は自分には到底できない、という諦めの感情、そういう人生の生き辛さを表しているのだと思います。
さらに、「人の後ろに付けばいいんだと知りました」というつまらないコツを発見した挙句、「人の行く先を予測するのが大事です」というのは、本当のところは大事というよりはむしろ踏み潰したくなるような処世訓であって、自分の好きなように歩ませてよ、というのが本音だろうと思います。

溜息をつくような曲、という感想をこのブログで何回か使ってきたと思いますが、本当に溜息をついているのはこの曲が初めてだと思います。生きていく上で当然溜まるであろうフラストレーションを音楽に変えて、きれいに吐き出していると思います。

2013年9月15日 (日)

「ベッドルーム」

「ベッドルーム」というタイトルですが、眠る場所というよりは、非常にプライベートな外界から隔絶された空間であるという面に着目していて、そこで他人の目がないからと醜悪な部分を晒す人間の姿を批判、揶揄の意味を籠めて「寝心地は最低 居心地は最高」と言っていると思います。

「粗略に扱ってかまわない人間が」という歌詞からは差別を歌っているように思えますし、「しゃがみ込む子供を 親は叱りとばし」からは虐待のことを歌っているように思えます。いずれも後ろめたさを伴う行為で、或いは自分の心に錠をかけて、自分の中で正当化したところで、結局安眠はできない、心に底から安らぐことはできない、そう歌っているように思います。
「寝心地は最低 居心地は最高」の歌声には一種の滑稽さとわずかに泣き出しそうな雰囲気が籠められていて、薄々自覚していても抜け出せない心の闇の深さ、どっぷり浸かって抜け出せない泥沼のような心理、苦しさを表現しているように思いました。

ただ単に差別は良くない、虐待は良くない、と言っているのはなくて、それに陥る偏狭な心理、ベッドルームに閉じこもってそこで生きていくような鎖された心に異議を唱える歌なのだと思います。

2013年9月 8日 (日)

「あなた恋していないでしょ」

また静かな夜に思いを馳せるといった趣の曲で、「あなた恋していないでしょ」と話しかける形をとりながらもレスポンスは無く、何となく独りごちているような、自分に言い聞かせているような雰囲気もあると思います。

「冷たい男になりたくて 寂しい男になったのに」の「のに」がそのままに後ろの詞につながらなくて、浮いているようで気になります。倒置文で「鋼で出来た鎧は脆い 涙ひとつで踏み誤った」に続いて、過去に寂しい男が涙一つで踏み誤った、だからもう恋はしない、という流れなのか、或いは寂しい男になったのは今現在の話で、望んでそうなったはずなのに何か足りないのではないか、本当にそれでいいのか、という疑問を示唆しているのか。続く「それも悪くはないかもね」には否定のニュアンスが含まれていて、「恋してよ」というのがこの歌のあけすけな本音だとするなら、後者であるような気がします。「のに」の後ろには「あなた」に言いたいことが色々と隠されていて、例えば「気をつけなさい 女はすぐに 揺れたい男を 嗅ぎ当てる」という忠告のような、警告のような、告白のような複雑な気持ちが籠められていると思います。

心を開かない男に何度も何度も問いかける、納得するようで、共感するようで、その実中々通じない気持ちにやきもきするような歌なのだと思います。

2013年9月 1日 (日)

「倒木の敗者復活戦」

「倒木の敗者復活戦」というちょっと不思議な語感のタイトルですが、つまりは「傷から芽を出せ」ということで、負けても倒れても、そこからまたやり直せる、再び戦うことができる、それはありうる、という励まし、或いは信仰のような強い願いを歌っていると思います。

この歌の特徴はやはり「完膚無きまでの負けに違いない」という敗北が確定していることだと思います。これまでも敗北の近傍を描く曲は多くあったと思いますが、負けが前提であり、確定した過去であって、そこからのみを歌う曲は少ないように思われます。まして「敗者復活戦」と露骨に言い切っているのは、中島みゆきに新たに何か一つの信念が生まれたかのような印象を受けます。それは弱者、敗者への同情、憐れみというよりはもっとポジティブで本気な強い気持ちで、「泣き慣れた者は強かろう」という確信であると思います。

どちらかというと筆者は未だに中島みゆきと言えばいつまで経っても泣き慣れないで、常に打ちひしがれているような印象は持ち続けてるのですが、しかし、この曲も中島みゆきの一面であり、新しいアルバムでいつも新しい印象を見せる中島みゆきらしい一曲であると思いました。

2013年8月26日 (月)

「リラの花咲く頃」

祖国から離れて密かに咲く花、リラの花の歌ですが、祖国に戻ることが出来ない悲しみをひたすら繰り返しながらも、どちらかといえば祖国の花と時を同じくして咲き誇る喜び、生命或いは人生の瑞々しさを歌っているような気がします。

リラはライラックの別称で、ヨーロッパ原産の落葉樹。春に紫色・白色などの花を咲かせる、というのはさっき調べて知ったことですが、例えばジャスミンや阿壇などと比べて地域が限定されず、象徴的な歌詞と相まって、より一般的に望郷の思いを美しく歌っているように思います。ただ、その分、リアリティというか肌身に感じるような切なさ、身悶えするようなやり切れなさは薄く、中島みゆきの望郷の歌にしては多少迫力には欠けるような印象を持ちました。

ところで、リラは中島みゆきの出生地の札幌の市木でもあるそうですが、もしかして北海道の地で満開になる異国の花を見ての感慨なのかもしれません。そう思うとやはり、「私が今そこに居ないことも 忘れ去られても」という悲しみよりも、「祖国で今咲く日に リラの花は咲く」と、咲く花を愛でた曲なのだと思います。

2013年8月18日 (日)

「恩知らず」

詩はともかく、ノリの良い曲でシンプルで覚えやすいサビがあってシングル向けの曲かな、と思いました。この曲を聴くのは「歌姫 劇場版」でPVを見て以来ですが、そのPVはライブ風に中島みゆきがバックバンドと一緒に歌うもので、その中でも中島みゆきはやはりノリ良く歌っていたと記憶しています。

しかし、詩を見ると後ろ向きというか、何故「恩知らず」なのかはよく分かりませんが、「出来ない無理をさせたのね」、「心苦しいんです 申し訳ないんです」等の苦しみと後悔を感じさせる言葉が並んで、葛藤の末にヤケになった、そんなノリであるような気もします。
世話になった人が苦しんでいて、楽にさせるには自分が離れるしかない、好きだけど身を引くしかないという決断、返したいけど決して返すことのできない恩、自分で自分を罵倒したいような気分、それらを「恩知らず」と表現しているのではないかと思います。

「恩知らず」は現時点で最新のシングルですが、やっと追いついたという多少の感慨と、「まだずっと好きだけど ごめん」に約40年前から変わらない中島みゆきの真骨頂を見た気がして、驚嘆しています。

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