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2013年2月17日 (日)

「天鏡」

歴史と悲劇を感じさせる壮大な詞に、ストリングやホーンを前面に出した演奏、リズムチェンジによる大胆な場面転換、締めのリフレインなど、まさしくドラマチックに盛り上がる曲、とベタな感想が湧いてきましたが、わりとそういうベタな感想が湧いて来ざるをえない(筆者の感性の問題かもしれませんが)王道的な曲だと思います。

天鏡とはこの歌における伝説的な宝物のようで、それをめぐって戦がおこるような代物で、おそらく権威、権力の象徴のようなもの、と想像しますが、本当の天鏡とはそういう埒のないの争奪戦で手に入るものではなく人の心であって、涙を湛えた瞳で空を見上げる、それこそが天を写す鏡である、と、ストレートに解釈して、そんなことを歌っているように思います。中島みゆきの歌で度々出てくる、戦というものへの白けた目、権力者同士の虚しい争いに振り回されて散々な目に会う庶民の悲しさ、そんな雰囲気がよく出ていると思います。

アルバムタイトルの尻馬に乗って、ドラマチック、ドラマチックと連呼してきましたが、実際のところこれまで以上にドラマを感じさせる曲が多かったと思います。多彩な物語と中島みゆきの多彩な魅力を感じさせるアルバムだと思いました。

2013年2月10日 (日)

「海に絵を描く」

バイオリンの音色がドラマチックで、緊張感と力強さがある歌声ですが、歌詞は海に向かってひたすら嘆いているだけのようで極めて内向的で、何か思いつめているような危うさ、脆さを感じさせる曲です。

「海が絵を呑む 記憶は逃げる」という詞で、記憶は逃げるとは何かを忘れた、という意味なのか、それとも逆で絵は海に呑まれたが記憶はそれを逃れて残ったままである、という意味なのか、次の「忘れたものは 捨てたものと同じことになる 残したものは 邪魔だったものと同じことになる」でも、結局忘れたのか残したのか、いずれにせよ後悔だけは残りそうな、そんな悲しい葛藤を繰り返しているように思います。そして、「約束事はその場限り-」と、また新たな葛藤を抱えてまた一人悶々としているようで、果てしない想いと悩みを海という虚空に描いては消え、描いては消えの、やはり果てしない歌のように思いました。

抽象的な歌詞なので、人によってそれぞれの様々な状況が思い起こせると思います。聴き手してもまさに「海に絵を描く」ように、幾つもの光景を思い描ける、幻想的で想像力を刺激する曲だと思います。

2013年2月 3日 (日)

「幽霊交差点」

「幽霊交差点は 名残の化身」って正体ばらしてるやん!と、思わなくもなかったですが、そう言われなくても十分過ぎるほどの未練、恨み、思い残し、名残が伝わってきて、超常現象としてのホラーではなく人の感情としての怖さ、切なさが前面に出た歌だと思います。

「霧の夜には気を付けなされ」と言われてもどう気をつければいいのか、そもそも「気を付けなされ」と言っているあんた誰なのよ、あんたも一枚噛んでいるんじゃないか、と疑心暗鬼になりそうなくらい、最初から最後まで幽霊交差点に既に囚われているような雰囲気で、つまり貴方をずっと捉えていたい、すっと忘れない、ずっと想い続けている、そんな気持ちが隠す気も無くさらけ出していると思います。ただ、何度も交差点に迎えながら、結局何もせずにまた逃がし続ける、結局のところ何の手出しもできない弱い、儚い雰囲気でもあり、結局幽霊にすぎないとでもいうか、陰からずっと見ていたい、心の中で逢いたい、という気持ちをただ表しているだけで、本当は自分の心の中を歌っているだけのことのようにも思います。

「幽霊交差点を お忘れですか」と言うように、忘れたくない忘れられたくない名残が静かにいつまでも響き続ける、そんな儚げで幽玄な余韻のある曲だと思います。

2013年1月27日 (日)

「百九番目の除夜の鐘」

除夜の鐘って一年に一度しかやらないわりには日常的な響きというか、伝統的行事でごく平穏なイメージがありますが、この曲はえらくサスペンスフルで、いわゆるお正月ムードにはそぐわない奇妙な緊張感を醸し出しています。

本来百八つで終るはずの鐘の音が百九回鳴るというのは大袈裟に言えば日常の破壊とでも言いますか、明けるはずの年が明けずにそのまま12月32日を迎えてしまいそうな、シュールな怖さがあるような気がします。詞中でも「このまま明日になりもせず」と、時が進まない悪夢のような苦悩が描かれていると思いますが、「やさしき者ほど傷つく浮世」、「裏切り前の1日へ」などの歌詞をごく浅く解釈すれば、年末年始にかけてフラれた、ただそれだけでこの世の終わりのごとく嘆いているようにも思え、楽曲の異様なまで緊迫感、除夜の鐘という妙に平穏な言葉とのミスマッチと合わせて、(筆者にとっては)解釈にちょっと戸惑ってしまう、独特の中島みゆきワールドが展開されていると思います。

ドラマチックと言えば確かにそうで、或いは崩れた日常、時の流れから自分を取り戻そうとする、必死の思いを描いた曲なのかもしれません。

2013年1月20日 (日)

「暦売りの歌」

「暦売り」なんて(筆者にとっては)新鮮な響きの言葉ですが、この歌に出てくる暦売りは現実のカレンダーを売っている雰囲気ではなくて、ちょっと魔法使いっぽいというか占い師か何かのようであり、それを買ったら何か特別なことが起こるような、やっぱり騙されているような、怪しい魅力を持っていると思います。

暦と言う言葉にそもそも占い的な意味があるように思いますが、この歌でも未来を先取ったり、過去を暦に直したり、運命がそこに描かれているような、一日の意味をそこに求めるような心理が描かれているように思います。
中島みゆきの歌は過去、未来というよりは今現在のたうち回っているかのようなリアルな感情に特徴がある、と勝手に思っているのですが、案外こういう雰囲気も好きなんだろうなあ、と思います。
この歌でも「愚かさは輪をかけて」という泥臭い現実を「悪態吐きつつ捨てかねて」という風に受け入れているし、「1生1度の1日を 総て良き日であるように」とその日その日を大切にしよう、というメッセージであるように思うのですが、「暦はいかが」と歌う歌声には何か妖しい、不可思議な道具を勧めるような、或いは怪しい、インチキな品を売りつけるような悪戯な魅力が込められていると思います。

「暦売り」という(多分現在では)架空の職業を通して、過去未来を行き来しつつ、今日一日が素晴らしい日であることをで切実に願う、ロマンと現実が交錯する歌だと思いました。

2013年1月13日 (日)

「らいしょらいしょ」

明治~昭和くらいの遊び唄風、或いは数字が増えていくので数え唄の一種のようでもあり、他愛のない言葉を延々と連ねて遊んでいるようで、時代の価値観や寓意が織り込まれていて、なにか深い意味があるように思われる、そんな雰囲気を持った、或いは狙った曲だと思います。

この歌の一句一句の意味や、この歌が作られた意図などはおそらく別の場所で解説がなされていると思いますし、このブログでは漠然とした印象を語るしかないのでそうしますが、こういう遊び唄は語感、リズムが大事で、とにかく繰り返し楽しく口ずさめることが重要だと思います。この歌の歌詞の最初は全てカタカナで書かれていて、子供が詞の意味を解さなくても無邪気に繰り返しているような雰囲気を出していると思います。
しかし、子供の歌というのはよく聞くとギョッとするような言葉が紛れ込んでいるもので、この歌もタイトルの「らいしょ(来世)」という言葉が急に仏教的、というか巨大な虚無感、厭世観が込められているようで、歌の陽気な調子と合わせて考えるとシュールな感さえあるような気がします。

戯れているようである種のリアルさも持ち合わせた、そんな日常的かつ象徴的な歌だと思いました。

2013年1月 6日 (日)

「十二天」

これ一曲だけを聴いても解釈が難しい、というか延々「北の天から 南の天へ」という風に方角(十二天)を歌っていくだけで、この曲のメッセージは云々というより、何かの場面でのBGM的なもの、或いは少し雅楽を感じさせる演奏と併せて一種の儀式的な雰囲気を楽しむ、そんな曲のように思います。

十二天とは少しだけ調べたところ、仏教におけるそれぞれの方角を守る神々だそうです。この曲では最初は非常にエコーがかかったはっきりしない声で北とか東、巽とか坤など、方角を示す言葉を使って歌ったあと、今度ははっきりとした声と同じ詞を繰り返し、さらにそれらを十二天に置き換えて、今度はがなりたてると言ってもいい程の勢いで歌います。
それにどういう意味があるのかはさっぱりなのですが、イメージとしてはぼんやりとした世界が段々と形をはっきりさせてきて、やがて神という、より思想的で哲学的な存在に変化して世界を象るというドラマチックで荘厳華麗な場面を想起させるものではないのか、と思いました。

これだけ抽象的な歌は久々だったと思いますが、よくわからないが雰囲気満点、というのも中島みゆきの歌の一つの魅力であると思います。

2012年12月30日 (日)

「NOW」

いきなりの男声合唱にびびりましたが、それに合わせてというか意図的なのか微妙にずれたタイミングで中島みゆきの歌声が混ざり、一瞬「世情」を髣髴とさせましたが、より幻想的で歌劇的な印象で、象徴的な歌詞と相まって独自の世界観を作り上げている曲だと思います。

ストーリーをよく分かっていない筆者にとっては少々ドラマチック過ぎると言うか、演出過剰の感があって、とにかくシリアスムードたっぷりの中、「ナウ!」と叫ぶ部分で、ポーズを決めている中島みゆきの様子が奇妙にありありと脳裏に浮かび、それはさながら映画のポスターのようであり、世紀末に一筋の雷光が奔り、運命の女神中島みゆきが仄明るく浮かび上がるようなイメージで、正直に書くとその仰々しさ(筆者の勝手なイメージですが)に何だか可笑しさがこみあげてきたわけで、曲の本来の雰囲気にはややついていけなかった、理解はできなかった、そんな気がします。
言い訳になりますが、初心者ゆえにこの曲の背景に全くの無知であり、やはりこういう曲を聴くには多少なりともストーリーなどを頭に入れておかないと真艫な感想は書けないのだろうな、と思う次第です(しかし今更なので、このまま無知のままで押し通そうと思っていますが)。

雰囲気はともかく、五里霧中でも今を確かに生きよ、というメッセージははっきり伝わってくる曲だと思います。それはこのアルバムの共通テーマでもあるようにも思え、中島みゆきが何度でも繰り返して伝えたいことなのではないかと思います。

2012年12月23日 (日)

「愛が私に命ずること」

情熱的でちょっと盲目的な感もあり、ひたすら「愛」の命ずるままためらわない、仏教的な世界観が多い中島みゆきの歌ですが、こういう性質も多分に持っているのか、或いはこの曲もドラマの一幕に過ぎないのかもしれませんが、ともかくその愛に殉ずる姿勢に畏敬の念を抱いてしまうような曲だと思います。

「ためらいはしない」、「戸惑いはしない」と、らしくないとさえ思える言葉が出てきますが、「立ち塞がる悲しみや痛みを見据えても」とあるように、ただ単に愛に浮かれているわけではなくて、それを貫くことによる苦難や悲しみに対する覚悟を固めている様子が窺えます。
そして、「もしも愛と違うものが命ずることなら 従いはしない」と、誰かの言いなりになるわけではなく、あくまで自分の信じるもののみに従う、と宣言をしているのだと思います。繰り返される「従いはしない」を聞いていると、むしろ何者かに抗っているような、従順ではなく反逆の歌ではないか、という気さえしてきます。

「心には翼がある」というように、何者にも縛られない心の自由と、飛び立つような情熱と、そんなひたむきな思いを描いた曲だと思いました。

2012年12月16日 (日)

「掌」

美しいけれど暗いトーンの曲で、自己否定を繰り返していくうちに暗い水底へ沈みこんでいくような感じですが、最後に陽射しが差していることが示され、実は希望を前にして逡巡し困惑しつつ、何かを始めようとする、そんな決意の寸前を描いた曲だと思います。

「こどもの宝」と同じく「少年」の姿が出てきますが、こちらの少年は無邪気で無知で、「何でも出来ると未来を誇っていた」少年で、今の「私」とははっきり違う存在として描かれていると思います。大人になって何でも出来るわけではない、むしろ出来ることなど殆ど無い、ということに気付いてから、それでも「陽射しよ まだ何か命ずるか」と感じることは、やはり少年の時よりも重くて、辛くて、悩ましいもので、簡単に決意できることではないのだと思います。それでも「他にはないのか 生まれたことの役目は」という一種の使命感、自分に何かが出来るという気持ちが燻り、高まっていくのを感じます。

自分に何か出来ることがあるはずだという希望と不安、迷い、そういったものを掌に見いだしつつ、自分に問いかける、そんな歌だと思いました。

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