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2012年11月18日 (日)

「I Love You, 答えてくれ」

のっけからのタイトル連呼に久々に見も蓋もない中島みゆきを見た感じがしました。メロディーが特別綺麗なわけでもなく、歌も全体に字余り感があってスマートではありませんが、その分必死な感じ、生な感情が伝わってくると思います。

見返りは求めないけど、答えて欲しい、というのは少しだけ矛盾していますが非常に自然な感情だと思います。やはりひたすら一方通行の想いは辛いものだし、必ずしもプラスの返答でなくても何か答えて欲しい、せめて自分の気持ちが伝わったという確信が欲しい、と思うものだと思います。
もしくはそれ以前に人としての交流を持ちたい、無反応の寒々しさには耐えられない、という気持ちであるようにも思えます。「I Love You,答えてくれ」は愛に応えてくれ、というよりも心を開いて欲しい、という必死な呼びかけではないかと思いました。

地味と言えば地味な曲調ですが、それにこれだけ感情を乗せられる中島みゆきの歌の力を感じさせられる曲でもあると思います。誠実で切実で不器用な愛を力強く歌う曲なのだと思います。

2012年11月11日 (日)

「昔から雨が降ってくる」

壮大に生命の歴史を振り返っているようでもあり、小さく自分を顧みているようでもあり、そんな大小の視点を兼ねた悠然として懐かしげな曲だと思います。

「昔から振ってくる」という言葉に色々な含みを持たせていると思いました。恐竜の時代も人間の時代も同じように振り続けてた雨、その意味では今振っている雨は実は古くからの雨であって、池のほとりの木や海のほとりの魚に振った雨と同じものである、と考えた時、己のオリジナルティや命のつながりを確かに感じて、自分自身にもう一度自信が持てるような気がします。
やるせなかったり、うなだれたしつつも、同時に「地平線の森へ歩きだした疑わない虫」である自分を思い出してやる気を奮い起こしているのかもしれません。

「雨が降ってくる」と言いつつもどことなく暖かな雰囲気のある、一息入れるような安心感のある曲だと思いました。

2012年11月 4日 (日)

「背広の下のロックンロール」

ここに来て非常に開放感のある曲で、同時にやはり哀愁をも感じさせる、歌詞の言葉を借りるなら、全力で駆け抜ける人生のバイクが見える、そんな疾走感とやるせなさを全開にする歌だと思います。

背広を着込んで自分を押さえ込んでいる人生、それを揶揄するわけでも軽蔑するわけでもなく、ただそれを知っている、という歌が妙に心に染みてくるようです。
「背広の下のロックンロール」は非常に含蓄のある言葉で、背広の下に不満や鬱憤を隠して、押し込めて、毎日をつまらなく生きている、とも解釈できますが、誰がなんと言っても自分は自分であるという自負、反骨心、野望、そういうものが毅然としてある、誰にみせびらかすわけでもなくても、己というものに自信がある、という意味だとも思えます。
そういう意味では最後の「誰も気付かないさ」には、誰にも気付かれなくて悲しい、という思いと、それと相反するように誰も気付かなくていい、むしろ気付かれなくて上等だ、という気概のようなものが見えてくる気がします。

背広を着ていても、ネクタイを締めていても、変わらぬ自分の素顔を再確認する、ロックンロールがそこにある、という滾る思いを解放する歌なのだと思います。

2012年10月28日 (日)

「ボディ・トーク」

「ボディ・トーク」と言いつつもボディでトークできている感じでもなく、ひたすら「言葉なんて 迫力がない」と反復して嘆いているだけのようで、何をそんなに嘆いているのか状況はよくわかりませんが、とにかくその嘆きだけは伝ってくるし、迫力は十分にある、と思ってしまいました。

「言葉なんて 迫力がない」のフレーズの通り、彼女の心に迫ることができない、今ひとつ気持ちが伝わりきらない、そのもどかしさを歌っているようですが、或いは言葉を惜しんで、体ばかりを求める男の心理というか、男女のすれ違いを描いているように思えなくもなく、「僕がさし出せるのは  命だけだ」なんて熱いながらも行き場を失くした思いが霧のように渦を巻いている歌にようにも思えます。
もしくはストレートに触れたいと歌っているだけかもしれませんが、そう簡単に触れることもできないようで、同じく反復される「伝われ 伝われ 身体づたいに この心」には焦りのような切実な想い、あがくような苦しさが籠められていると思います。

前曲の「アイス・フィッシュ」と対照的な曲ですが、続けて聴いてひとつのドラマを想像するのも楽しいかもしれません。

2012年10月14日 (日)

「アイス・フィッシュ」

「アイス・フィッシュ」はどうやら架空の魚のようですが、深い水を心凍らせながら泳ぐ魚の姿が見えてくるようで、静謐さの中に秘めた思いが張り詰めるような独特の緊張感がある曲だと思います。

「百もわかりながら」とあるように、本当は自分がなすべきこと、言うべきことがわかっていながら、自らをかばって行動できない、そういう自分の姿を「氷の鱗」、「氷の魚」と自嘲しつつ、それを自らどうしようもできない、いつのまにか身についてしまった、自らがそういう存在「アイス・フィッシュ」に本当になってしまった、そんな少し奇譚じみた雰囲気を漂わせながら、行き場のない自分の心を漂わせているように思います。

それでも「明日までに」「なおせるかな」という言葉に、根っから「アイス・フィッシュ」になったわけではない、少なくともなおしたい気持ちはある、というのが読み取れます。氷の鱗を持ちながらも、完全に閉じこもりきる歌ではないのだと思います。

2012年10月 7日 (日)

「Nobody Is Right」

最初の「Nobody Is Right,Nobody Is Right」に重厚感があって、やはり中島みゆきの歌声には説得力があると思います。その声で「正しさは道具じゃない」と言われると、それこそ正しいか正しくないかは置いて、「そうですね」と納得してしまいそうな感じです。

ところで、その「正しさは道具じゃない」という結論は歌の流れからいうとやや唐突な感じもありますが、「正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」を受けて、正しさを勝利の道具のために使ういう意味で、争いのための大義名分的な正しさを批判しているのか、もしくは正しさは道具のように使えるものではなく、もっと複雑で不定形で人によって異なるあいまいなもので、完璧な正しさなんてものはない、という意味なのか、これまでも時折、中島みゆきの歌では正しさ故の冷たさ、争いを嫌っているような表現が出てきましたが、この曲ではとてもはっきりそのことを歌っていて、中島みゆきの仏教的というか相対的な価値観がなんとなく見えてくる気がします。

ただ、この曲は思想を語っているわけでもなく、このアルバムの共通テーマ(のような気がする)、人と人との情のあるのつながりを訴えて歌っているのだと思います。それが聴く者の感情を動かして、説得力のある歌になるのだと思います。

2012年9月30日 (日)

「サバイバル・ロード」

「ぅおぅおうー この街はサバイバルるぅーぉぅおぅー」という調子の激しいアップテンポの曲で野太い中島みゆきの声が格好いい、と言えば格好いいのですが、やっぱり中島みゆきのロック調の曲は何か違うという違和感も感じつつ、何だかよくわからない迫力に押される、ある意味ではとてもらしい曲だと思います。

曲全体に刹那感が漲っていて、「その通りを通るものは ただのビル風だから」という虚無感、リアリズムが支配する容赦ない街で、「最敬礼 大歓迎 ふところの中のナイフ」という外面だけは良いが油断できない人間達に囲まれている孤独感、不信感を滲ませていると思います。さらに「迂回路はどこにもない」と、そんな街の中で生き抜いていく覚悟を決めたととれる厳しい言葉を吐きつつ、最後には「共にゆける者はないのか」という本音、信頼や愛情への渇望を溢れさせているのだと思います。

「本日、未熟者」や「顔のない街の中で」にも通じる雰囲気、人と人との冷たい関係に震えつつも、なおつながりを求める、そういう真剣なテーマを感じつつ、「サバイバルるぅーぉぅおぅー」にはどこなく可笑しみを感じる、ちょっと不思議な感のある曲だと思いました。

2012年9月23日 (日)

「一期一会」

「一期一会」はこの曲に限らず、このアルバムのこれまでの曲にも感じたテーマで、人との出会いやつながりを非常に大事にしている印象を受けます。ただし、あくまで中島みゆき流の一期一会とでもいうか、やっぱり未練たらたらで幾年月の後再び巡り会うことを願っているような、そんな想いの強さを感じさせる歌でもあると思います。

「忘れないで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで」という句ですが、筆者の解釈というか印象では「忘れないで」というよりむしろ「あなたの笑顔が忘れられない」という意味に近いように思われ、ずっとそのままでいて欲しい、あなたが私のことを忘れたとしても、私の想いは続けさせて欲しい、というニュアンスではないかと思います。
 無論、単純に私のことはいいからあなたは笑顔であってほしい、という意味もあるかと思いますが、「浅い縁」とわかっているから、せめて心の中ではいつまでもつながりを持っていたいと言う切なる気持ちが多分に含まれているように思います。

以上、特に根拠がある論ではないですが、喉をふるわせて、舌を少し引き攣らせるようにして歌う、どこかもどかしげな中島みゆきの歌声を聴いてそんな印象を受けました。

2012年9月16日 (日)

「惜しみなく愛の言葉を」

どちらかと言えばこれまでは愛の言葉を惜しんだり惜しまれたり、或いは否定されることを怖れているように踏み込めない歌が多かったと思いますが、この歌では愛の言葉を捧ぐことをはっきり宣言していて、それが決意の強さと共に怖れの深さも感じさせて、少し切ない感じのする曲です。

「もしも私の愛の言葉の-私は愛に置き去りかしら」とまず不安と迷いを歌った後、「いいえ」とそれを打ちけす言葉が続きますが、その「いいえ」の歌い方に愛がこもっているというか、愛以外にも溜息のような不安と心配、憂鬱で虚しい感情もこめられているように思いますが、それ以上に確かで偽らざる気持ち、はっきりとした意思、そういうものが含まれていて、何だか微笑む中島みゆきが見えてくるような、強い感情の言葉のように思います。おそらく、まず語られる不安と迷いも消すことはできない正直な気持ちで、それを吹っ切る瞬間の様々な感情の奔流が垣間見える言葉なのではないのかと思います。

「今日咲き尽くす1日の花」という言葉にこの時の中島みゆきの心境が表れているような気がします。次の日ばかりを考えて今日をないがしろにしないように、今愛せるものを愛そうという思いが伝わってくると思います。

2012年9月 9日 (日)

「顔のない街の中で」

顔って単に感覚器が集まっているというだけでなくて、人の体の中でも特にID的な役割があって、個性の象徴でもあると思います。「顔のない街」というのは街に個性がない、という意味ではなくて街の人々一人々々の顔が見えない、という意味かと思います。

顔も見知らぬ人、というのはつまりその人を認識してないわけで、極端に言うと人として認めていないということで、お互いに物のように無視して無視される、そんな非常に冷淡な世界が描かれています。
そこに突如「ならば見知れ」という強引な言葉がかけられて、歪んだ世界にヒビが入るような衝撃を感じます。「見知れ」なんて普通は使わない言葉で、歌の中でも字足らず感があってフィットしているとは思えない言葉ですが、このストレート過ぎて逆に違和感を感じるくらいの言葉を敢えて使ったところにそれくらい見知ってほしい、冷たくならないでほしい、という必死な思いが伝わってくると思います。

筆者はこの曲を聴いて通り魔の事件を連想してしまいました。無論、時間軸的に考えて直接の関係はありませんが、共通の課題を含んでいるのかもしれません。

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