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2012年6月 3日 (日)

「無限軌道」

穏やかに緩やかに流れるメロディに乗って行き先は無限軌道、人生の終わりを歌っているようですが、終わるというよりは何かが続いていくような一種の安らぎを感じる曲だと思います。

「無限・軌道は真空の川」というサビが何度も繰り返されますが、「真空」というのが宇宙空間のことで銀河を旅する鉄道をイメージした曲なのか、或いはより哲学的な虚空という意味で何もかもを含んだ根源的なもののイメージなのか、ただそれは暗い虚無的なものではなく、まばゆい光に包まれたものであるようで、懐かしくて決して悪いものではないように描かれていると思います。「川」という言葉がそれらが続いていく、繰り返していくことを想起させて、中島みゆきの歌で度々感じられる輪廻転生の思想がよく出ている曲だと思います。
そして「普通の暮らしの一日のように」と、ごく普通の出来事として永遠をゆく鉄道の客になることを受け入れる、さりげない覚悟の歌でもあると思います。

この曲だけで決めるつけるのも良くないかもしれませんが、中島みゆきの生死についての思想が窺い知れるようで、一つの結論を出しているようにも思います。このアルバムを締めるのに相応しい曲だと思いました。

2012年5月28日 (月)

「サーモン・ダンス」

今までになかったように思えるちょっとファンキーな感じの曲で、タイトルのようにダンスを踊っているようなリズム感が前面に出ている新鮮な感触の曲です。

歌詞だけ見ると特に前半部は「見つからない転轍機」、「過ぎ去った時計の針と似ている」、「この線路で掛かってるから」など、行き詰まりを感じさせる深刻で苦悩に満ちた心象風景が描かれているように思えるのですが、後半になるにつれ、そんなことはどうでもよくなっていくかのように「生きて泳げ 涙は後ろへ流せ」が繰り返されます。開き直ったのか、生まれ変わったのか、その心理変化は筋が通ったものではないようにも思えるのですが、最後にはそんなこともどうでもいいような気分になります。
鮭の遡上のことを歌っているようであり、死と誕生という重いテーマを歌っているとも解釈できますが、そういうこともやはりどうでもよく、ただ今生命を燃やす、そんな歌なのだと思います。

もしかしたら中島みゆきの新境地ではないか、とそんな気もしてくる生き生きとした曲だと思いました。

2012年5月20日 (日)

「ミラージュ・ホテル」

「恋文」に収録されている楽曲が早くも再登場ですが、前回は迫り来るミラージュ・ホテルに圧倒される感じだったのが、今作ではしっとりと霧に包まれて佇んでいるようで、よりミステリアスで幻想的な雰囲気を醸し出していると思います。

個人的なイメージですが、前回のミラージュ・ホテルは日々の忙しさや喧騒からふと逃避したいと思う壮年期の人物の願望のようでしたが、今回では「遺失物預り所」のように人生の終わりに立ち寄って、全てを振り返って、全てを懐かしむような、そんな最後の憩いの場所として描かれているような気がします。
「ミラージュ・ホテル」で重なる幾つもの声が幾つもの思い出を表しているようで、「それはもしやあると疑えなくもない」はむしろあることを確信してるように聞こえ、既にそこにいるかのような奇妙な安らぎを持った響きであるように思います。

同じ歌詞、同じメロディーでもまるで別の曲のようであり、中島みゆきの楽曲の持つ懐の深さを感じさせる一曲だと思いました。

2012年5月13日 (日)

「命のリレー」

「命のバトン」という明確なテーマがはっきり、力強く歌われていて、人の一生を意味づけるような、虚無の気持ちを吹き払う前向きな意思を感じる曲だと思います。

「ガラスの笛」、「透明なゴール」、「僕の命を 僕は見えない」と、命そのもの、或いはその軌跡は目には見えない、見ることが出来ないことが強調されているように思います。
「この一生だけでは 辿り着けないとしても 命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ」という主旋律が、願いが成就するかを見届けることはできない、それでも引き継いで信じて託すことで、その命が意味あるものになる、と何度も呼びかけているように思いました。

何度も繰り返される命、その一つ一つがバトンを掴んでいる、そんな壮大かつ優しい視点で命を歌った曲なのだと思いました。

2012年5月 6日 (日)

「我が祖国は風の彼方」

「我が祖国」というはっきりとした言葉が印象的な曲で、中島みゆき節とでも言うか、初めて聴いた気がしないメロディに反復されるフレーズがどこか懐かしさを感じさせ、遥か遠くある自分のルーツへの希求、回帰の想いが溢れる曲だと思います。

祖国は容易に帰れない遠方にあるようで、捉えようによってはもう亡くなっているようにも感じられます。歌の最後に方では「空と風と波が指し示す天空の国」という詞が「いつの日には帰り着かん 遥かに」と併せて、やがて魂だけが帰り着く先として祖国を描いているようで、ここでいう「我が祖国」というのは例えば名であったり旗であったり、そういう国家の体裁的なものではなく、より精神的な心の拠り所としての祖国なのだと思います。
郷愁や異邦人を歌った曲は数ありますが、この曲は祖国という言葉がはっきりと使われ、一つしかない、かけがえのない祖国への想いがより鮮明になっていると思います。同時により普遍的で誰もが還る場所である祖国のイメージを描いた曲でもあると思います。

決して無くなることはないし、やがて旅路の果てに祖国に帰り着くことが出来る、そういう一種の悲しみが混じった希望である祖国を歌った曲なのだと思いました。

2012年4月30日 (月)

「闇夜のテーブル」

またも事後で恐縮です。帰省のドタバタで月曜更新になってしまったことをお詫び致します。

さて、「闇夜のテーブル」ですが、抽象的で独特な雰囲気の曲が多いこのアルバムの中でも一際ミステリアスで、詐謀渦巻く真夜中の賭博場にでも紛れ込んでしまったかのようなドキドキ感がある曲だと思います。

と、漠然とした印象を言う以外に難しい曲ですが、一つ書くと、「選びとれば カードの裏 数字のない札もある」という詞で、数字のない札、とは単純に考えて絵札のことだと思いますが、深読みすれば「数」という言葉に運命とか巡り合わせという意味があるので、選びとった一枚のカードが思ったような数とは限らない、という運命の意外さ、ままならなさ、奇妙さ、そういったもの描いた曲なのだと思います。
「白い月 黒い月」というあたりはやや唐突でよくわからず、やはりこの曲単品で聴いても解釈が難しいのかな、とも思いました。しかしこのアルバムの雰囲気にはよく馴染む曲だと思います。

冒頭にも書きましたが、妖しい真夜中の匂い、運命を賭けた駆け引き、そんなミステリアスかつスリリングな雰囲気を楽しむ曲なのだと思います。

2012年4月22日 (日)

「フォーチューン・クッキー」

これもまた不思議な感じがする曲で、少し鼻にかかった甘い歌声に、占いクッキーが題材だからか、中国風の悠揚とした楽曲とで、なんだか茫然としているうちに運命が確定してしまったような気分がする歌だと思います。

歌詞で気になるのは「取り替えたら 捨てた菓子のほうが当たりだったかもしれない」という部分で、やはり恨み節が入っているようでもあり、悪戯っぽく微笑んでいるようでもあり、ほんの些細な出来事が人生の重大な何かを変えてしまった、かもしれないという一種の切なさ、運命の不思議さが表現されているように思いました。
繰り返される「あなたの手で選びだして」という言葉に、それでも選ぶしかない、それが当たりかどうかわからないまま、選び続けるしかない、という寓意があるような気がします。

この曲もまた、人生の流転、運命の変遷を感じさせる曲で、このアルバムに相応しいと思いました。

2012年4月 8日 (日)

「メビウスの帯はねじれる」

語尾が跳ね上がるような不思議なメロディーで、ひたすらメビウスの帯がねじれねじれていくと歌い続ける、何とも解説が難しい曲ですが、訳のわからない運命の悪戯の中で探し人を探し続ける、そんな印象を受けました。

全体的に抽象的な歌詞ですが、「終点の駅札」、「気づかない転轍で」などから、メビウスの帯はレールのイメージなのかもしれません。表と裏を入れ替えながらぐるぐると周り続け、さらに転轍というレールの入れ替えまであって、幾つもの世界を何者かと入れ違いながら、想いと現実を錯綜させながら巡っていく、そんな旅の曲であるように思いました。

転生(TEN-SEI)というアルバムタイトルにぴったりの曲であると思います。現実と夢が織り交ざった世界で旅を続ける主人公を歌う曲なのだと思います。

2012年4月 1日 (日)

「線路の外の風景」

線路という束縛から逃れた開放感、というよりは人生のレールを失って途方にくれている、という後悔に似た思いに溢れている曲で、何も無い風景の中でただ戸惑っている、そんな情景が目に浮かびます。

「線路の外」という表現ですが、特に捻りなく解釈すると、線路からはみ出た、レールから外れた、という意味かと思います。列車に乗って窓からみる風景とはまるで別物で、おそらく風景が変わったというより別世界に来ているような感覚なのだと思います。
「見渡す限り 草原の中」という言葉に今まで目指したもの、積み上げたもの、全てを見失った不安感、今何をしたらいいかわからない迷いの気持ちが表れていますが、全てを失って、全てがここから始まる、そんないっそ清々した気分も含まれているように感じました。

不安感に溢れた曲ですが、気力を失くしてしまっている、というわけではないように思います。夢のレールを失って、だだ広い草原の中、全てを白紙に戻して再び歩み始めるまでの空虚の気持ち、戸惑いを描いた曲なのだと思います。

2012年3月26日 (月)

「帰れない者たちへ」

抽象的な歌詞ですが、帰れない者たちの悲哀、切なさ、無念さが伝わってくるような叙情的な歌だと思います。

帰るに帰れぬ事情がある、そんな雰囲気を醸しだしつつひたすら月を見て涙を流す、その様は物語に出てくる異人、異邦人の風情とでも言うか、これほど切なく、過酷でありながら、どことなく美しく、旅愁のような情感を感じさせます。
「帰れない者たちへ」というタイトルですが、「帰れない者たち」の悲哀をひたすら描いた歌であって、帰れない者たちへの明確なメッセージがあるわけではないような気がします。或いはその情景を美しく歌い上げることでせめてもの慰めとして、帰れない者たちへ捧げる歌であるのかもしれません。

十三夜というのは旧暦九月十三日に月を見る日本独自の風習だそうですが、十五夜でなく十三夜がこの歌で選ばれたのは、秋という季節の物悲しさからか、それともが望郷の念を呼び覚ます特別な何かがあるのか、そのあたりを想像するのも興味深い曲であるように思います。

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