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2011年12月11日 (日)

「思い出だけではつらすぎる」

迷いと葛藤と情熱を感じさせる曲で、「思い出だけではつらすぎる」と繰り返す度に高まる感情が行き場を失くして、その密度をさらに高めるようにして、今まさにたった一つの愛を高らかに告げる、或いは告げようとしている歌だと思います。

「本当の鍵はただひとつ 永遠にあなたが持ってる」、「寒いニセモノはどこにでもあると知ったの」などから、「あなた」への強烈な愛、特別な愛を感じます。中島みゆきの歌で時折出てくる博愛や慈愛とは異なる愛、広い世界で何故これだけが特別なのかと思える、理不尽とすら思える愛を、その理不尽さに本人も恐れを抱きつつ、しかし最早伝えずにはいられない、自分の心にしまっておくのに耐えられない、そんな気持ちが「思い出だけではつらすぎる」なのではないかと思います。

「恋文」は色々な恋や愛の形(そればかりではないですが)を歌ったアルバムのように思いますが、情熱的で特別な愛で以って、このアルバムの最後を盛り上げて、締めくくっているように思います。

2011年12月 4日 (日)

「恋文」

吐息のような歌声と悲しげな曲調が印象的な曲で、失恋を歌っているので悲しいには違いないのですが、振られたことよりも、何にも気付かなかった、何もできなかった、という無為の虚しさに堪えているような印象もあります。

「探るような眼で恋したりしない」という冒頭の言葉に代表されるように、駆け引きなしの全力の恋をしていたことが全体から窺えますが、その割りには恋文という今時使わない手段で婉曲かつ迂遠な振られ方をしているようで、それは本当に恋文だったのか、という疑問を抱かせるくらい、或いは一人ではしゃいでいるだけで、先方は恋愛だと思っていなかったのではないかと、そんな想像を巡らせるほどの空回り感、一方通行感があります。
つまりは「知らないことだけ好きになったのね」が結論なのかもしれません。知らない故に好きになり、好きな故に知ることが怖く、そして相手の気持ちに気付かない、又は気付かない振りをしたい、という歌なのかもしれません。

「恋文」はアルバムタイトルでもありますが、この曲においてはここだけの特殊な意味で使われているように思います。それは恋しい人からの最期の手紙であり、何も知らない自分に気付かされた悲しい思い出であるように思います。

2011年11月27日 (日)

「月夜同舟」

「月夜同舟」の言葉どおり、静かな月夜に(多分)二人乗りくらいの小さな船がゆらゆらと流れていく様子が目に浮かぶようです。悲しみを漂わせつつも、全体として穏やかでゆるやかな時間が流れていくような感覚の曲だと思います。

やはり「見覚えのある人」が何者なのか、気になりますが、詞ではただ「眠ってるみたいでしょう」「夢みてるような姿でしょう」と、その主語も明確にせずに、影のような姿をおおまかに描写するのみで、この歌自体が夢を見ているような正体定かでない雰囲気を持っていると思います。
或いは、「見覚えのある人」がそこにいることだけを感じつつ、夢見るような感覚の中、ひたすらに船に揺られていく様子を描いた曲かもしれません。何も話さないし、直接的なやりとりは何もなくても、ただそばにいることだけを感じて、それだけで満足であるようにも思えます。

少しオリエンタルな雰囲気のある曲ですが、「月夜同舟」は故事成語等ではなく、中島みゆきのオリジナルな言葉のようです。月も船も中島みゆきでしばしば出てくる題材で、非常に中島みゆきらしさが出ている良曲だと思いました。

2011年11月20日 (日)

「ナイトキャップ・スペシャル」

「ナイトキャップ・スペシャル」って、また何だか不思議なセンスを感じさせる言葉ですが、調べてみるとナイトキャップに寝酒、寝酒に向いたカクテルなどの意味があると知りました。普通の寝酒では眠れない夜、ナイトキャップ・スペシャルを必要とする夜を歌った曲なのだと思います。

女の気持ちは女がよく解るということなのか、「さんざんな真夜中には 女友達はいかが」と、勧めていますが、その後の「お互いさまでしょ」という部分には一種の悲痛な叫びを感じるというか、友達のための特別製の寝酒になってあげる、と言いつつ、その実自分も同じような状態であって、自分こそ友達にもたれかかりたいような気分であることが窺えます。
「武士は相身互い」とは多少違うのかもしれませんが、似たような立場ゆえにできる真の意味での同情の言葉であるように思え、爽快感を感じさせるシャウトでありながら後を引く、印象的な一節だと思います。

「女の敵は女なんだと」という言葉が出てきますが、そういえば中島みゆきの曲では女はライバルだったり、嫉妬の対象だったり、友達っぽい人物はあまり出てこなかったような気もします。そう考えると女友達の良さを歌ったこの曲は意外とレアな歌なのかもしれません。或いはこの「恋文」というアルバムが、恋文と言いつつも、様々な立場の人への気持ちを綴るアルバムであるかのようにも思います。

2011年11月13日 (日)

「情婦の証言」

非常にサスペンスフルな雰囲気の曲で、罠に嵌められた二人が追い詰められる情景と、それに対して非常に無力な己の立場が語られ、「あたし」という存在の弱さを嘆く歌であるようにも思います。

実際のところ「情婦の証言は法廷では 無いのに等しい」ということはないはずですが、情婦ゆえに存在を公にできない事情があるのか、或いは情婦とは社会的立場の弱さを意味する言葉なのか、とにかく「愛だけが見えるはず」という言葉が逆に二人の絆の脆さを表し、「ひと晩じゅう あたしたちは片時も離れず」と繰り返すことで二人の愛を必死に確認しているような印象を受けます。

結局、この事件というか陰謀というかが何だったのかは曲中では明らかにならないので、やや消化不良な印象もあるのですが、或いは事の真相はどうでもよく、「情婦」という存在の悲しさ、儚さを思い知る、そういう嘆きと不安の曲であるのかもしれません。

2011年11月 6日 (日)

「寄り添う風」

最初から最期までひた悲しみに悲しみぬいている印象で、何がそんなに悲しいかというと、「寄り添う風 それだけでいい」という慎み深さと、その言葉と裏腹の激しい感情、傷の痛みに声が漏れるのを必死に堪えているような、忍ぶ恋を歌っているからだと思います。

「人恋しさは諸刃の剣」という言葉に一種の凄愴感というか、ちょっと待って必死過ぎるよ、と言いたくなるような重たさを感じますが、その真剣さに久々に一切茶化すことを許さない怖い中島みゆきを見たような気がします。
「私は彼方で泣く」も凄みのある言葉で、直前の「どんなに傷ついていても涙を流すことさえできない人も この世にはある」と同義であると思いますが、一体何が彼女にそんな忍耐を強いるのだろうと、第三者的に見れば唖然とするような心境ですが、この歌に同情する人、感情移入できる人ならば慟哭を誘う一句であるように思います。

冒頭にも書きましたが、「寄り添う風 それだけでいい」という一見控えめなサビながら、本当のところは諸刃の剣を持て余すようにして、自らの血を流す激しい悲しみの歌であると思いました。

2011年10月30日 (日)

「ミラージュ・ホテル」

久しぶりに力技で押された気がする曲で、「ミ~ラ~~ジュ、ホテ~ルッ」という奇妙なゴージャスさと微妙な哀愁が漂う歌声が響いて、終わってみると心の中に楼閣の残影が残る、というか「ミ~ラ~~ジュ、ホテ~ルッ」という歌声のみしか残らない感じです。

幻影のような休息所、或いは浮世からの避難所、そういう場を描いた曲としては「極楽通りにいらっしゃい」や「パラダイス・カフェ」などもそうであると思いますが、 ミラージュ・ホテル は最初から幻影であることが前提であるかのようで、「それはもしやあると疑えなくもない」という詞からも、あくまで無いとしながらも、それでもふとしたときに、心の片隅でもしやと思ってしまう、そんな存在であることが窺い知れます。
やはり疲れた大人の理想郷であるのかもしれないし、障子があったり、昔見送った少年に似てるベルボーイがいたり、どことなく懐かしさと安息を与える、回帰の場所として存在しているのかもしれません。

月並みな感想ですが、ミラージュ・ホテルとは心の中の蜃気楼であって、誰しも求める心の安息所であり、中島みゆきの歌声がその虚しさを喚起することで、聞く者の心にただそれだけを残すのだと思います。

2011年10月23日 (日)

「川風」

静かなゆっくりとしたテンポで、後悔を噛み締めるような歌声が印象的な歌です。
後悔の歌は幾つかあるといえども、「あやまりたい」というサビは何とも切なく、謝ってどうすんだ、と突っ込みたくもなるものの、多分どうすることもできなくても兎に角謝りたいんだろうなあ、と同情のような何ともいえない気持ちが湧いてきます。

川風、というと筆者は川原か堤防の上を歩いたときに吹き付けてくる、あの容赦のない風、遮るもののない強い風、冬場なんかは冷たすぎて顔面が凍りつきそうになるあの風、というイメージが(川風の学術的な定義は違うようですが)あります。この歌も或いは川原で一人、吹きすさぶ風の中立ち尽くしていると思えば、寂しすぎて何だか苦行というか自虐的な感じさえします。
そのイメージが正しいかはさておき、後悔はどこまでいっても自責に過ぎず、解放されるには対象に向き合う、この歌では「あの人」に会わなければならないはずですが、まだそこまでの決意は固まらず、もしくはやむにやまれぬ理由でもあるのか、川風に伝えて欲しい、とひたすら願う、そんな葛藤の段階の心情を歌った曲だと思います。

伝えたい、でも伝えられない、伝えられたところで取り返せるものでもない、それでも伝えたい、と繰り返し繰り返し、川風を身に浴びるような曲なのだと思います。

2011年10月16日 (日)

「恋とは限らない」

中島みゆきというと、メロメロというかドロドロというか、マグマが渦巻いて噴出するような恋愛の曲ばかりのような気もしますが、こういう好きとも言い切れないけど、居てくれないと嫌、みたいなほのかな好意を歌った曲もたまにあって、一服の清涼剤のような感じがします。

恋とは限らない、とは非常に微妙に表現で、恋じゃない、と言い切っているわけでもなく、しかしニュアンス的には恋を否定している感じがして、でも「24時間そばにいたいってわけじゃない でも1番肝心な時は逢ってね」というえらく我儘なフレーズも飛び出して、つまりは自分でもよくわからないモヤッとした気分を歌っているのではないかと思います。
「何に変わってゆくのだろうか」という言葉が多分正直な気持ちで、このよくわからない感覚がどうなっていくか、好奇心のような不安のような、一種の期待を持って見守っていよう、という歌なのだと思います。

ところどころ男声コーラスが入りますが、一方的な感情を歌っているのではなく、男女の微妙な関係、共通した感覚を深刻にならずにあくまで微妙に、軽妙に歌った曲だと思いました。

2011年10月 9日 (日)

「銀の龍の背に乗って」

初心者の筆者でもこの歌がシングルでドラマの主題歌であったことは知っていて、しかし一曲を通してきちんと聴いたことはなく、TVなどで「銀の龍の背に乗って」というサビだけをよく耳にしていたことを憶えています。その時の印象はずいぶん地味なサビだな、という程度のものでしたが、改めて聞いてみると非常に盛り上がるというか、高揚を伴う敢為の精神を歌った曲だと思います。

この歌における「銀の龍」がドラマの主人公が乗っている自転車のことだと、やはり雑誌か何かで読んだ記憶があるのですが、そういう予備知識が無かったとして「龍」という何となく中島みゆきにそぐわないというか、一種派手で空想的で、ファンタジーかラーメン屋の名前くらいでしかお目にかからない言葉が唐突に出てくる感もあります。
「銀の龍の背に乗って」というサビは、或いは最初から出来ていたのかもしれませんが、まだ未熟で非力な人間が、それでも何かの使命感、衝動に突き上げられて、ほとんど徒手空拳で飛び出す様を描いているように思います。「さあ、行こうぜ」という言葉の通り敢えて踏み出す姿勢を雄々しく、美しく、そして少しのユーモア、愛情を以って表現した言葉であるように思います。

8年前くらいに発表の曲ですが、かなり最近の曲のような気しています。このブログも終わりに近づきつつありますが(と言ってもあと数年はかかりそうですが)、今も新しい曲を出し続ける、挑戦し続ける中島みゆきにも相応しい曲であるように思いました。

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