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2011年4月30日 (土)

「ヘッドライト・テールライト」

闇夜を車が静かに疾走していく様子が見えてくるような歌で、描写が巧みであるというより、中島みゆきの歌声と雰囲気が最高である、という気がします。

解説はあまり必要ない曲だと思いますが、「地上の星」とも通じるテーマ、英雄ではなく、記録にも残らない人々がそれぞれの灯りを点して生き続ける様を、人そのものではなく、ヘッドライト、テールライトに象徴させて、静かに主張していると思います。
筆者なども夜ふと窓の外を見ると、高速道路などに幾つもの光が流れていくのを見えて、無機質とも言える、ひたすら繰り返すだけのように見える一つ一つの灯りに、それぞれの人生が乗っているのだと思うと、感慨のようなものが湧いてきますが、この歌も同じような気持ちを歌っているのではないか、と思いました。

抑え目のサビと、さらに抑えた導入部分が、忘れ去られていく人々の儚さと美しさを表現しているかのようです。観じ切ってしまえば人生とは一対の光のようなものである、そう言っているようにも思います。

2011年4月24日 (日)

「Tell Me, Sister」

ぼんやりと聴いて、純然たる嫉妬の歌だと思ったのですが、「微笑みだけが残った」の歌声に嫉妬らしからぬ優しさ、憐憫とも感じ取れるような奇妙な悲しさに違和感があり、嫉妬を通り越してあきらめの境地なのかとも思いました。何遍か聴いてようやく「彼女」がこの世にいない、とわかって、ああそういうことなのか、と合点がいったような気になりましたが、よく考えてみると何に納得いったのか自分でわからなくなる、喪失感と複雑な感慨が混ざり合って、これは一体何なのか教えてくれ、と聴いている方もそう感じる歌だと思います。

とりようによっては、やはり純然たる嫉妬の歌であり、嫉妬の対象がこの世からいなくなることで、もう追いつきようがなくなる、いわば嫉妬が永遠のものとなり完成する、そしてあきらめの境地となった、という風にも捉えられます。またはその逆で、何もかも負けているとあきらめていたのに、突然に死を知ったことでわからなくなる、一体あなたは恵まれていたのかと、答えが返らぬとわかりながらも問い続けたくなる、そういう心境を歌っているとも思えます。さらには、本当は何も持ってなかった彼女が「そのままでいいのに」と言った気持ちに気付いて、そのことに悲しみつつも一種の優越感、とまでは言わないものの、僅かに彼女を哀れむ気持ちも生じているように思います。

嫉妬というより憧れという方が適切かもしれません。憧れを失った喪失感と失くすことによる開放感、あきらめ、それらが心の中で整理つかぬままに浮遊し続ける、そんな混乱と止め処ない悲しみを「Tell Me, Sister」という問いかけで表現しているのだと思います。

2011年4月17日 (日)

「粉雪は忘れ薬」

筆者は大学時代は北海道でしたので、粉雪の怖ろしさも多少は知っておりますが、あんな繊細で儚げに見えるものが、あっという間に何もかもを白く塗りつぶしていく様は圧巻というか、むしろ自分達の無力さを感じる位です。

この歌も繊細で可憐なタッチで歌われますが、粉雪の圧倒的な力を知っている、また、それを望んでいながら、その反面、忘れられていく心の情景を惜しみ、その儚さ、無力さを痛感してるようでもあり、今まさしく降りしきる粉雪の風情を写し描いていると思います。
そんな粉雪を「忘れ薬」と表現したあたりは中島みゆきの独特さが出ていると思います。いわゆる散薬のイメージなのかどうか、実際には存在しない忘れ薬というものに例えて、その不思議な力を象徴させたか、その薬効に縋るような自分の心境を託したのかのように思います。

実際に積もってみれば「あらら、積もりやがったわ」となるのかもしれませんが、それでも、粉雪の降り始めは何となくセンチメンタルになれる、そういう美しさと悲しさを持っているような気がします。粉雪を見て心が動く、その数瞬を描いた曲ではないかと思いました。

2011年4月10日 (日)

「結婚」

ピンとは来ない、というのが正直な感想で、字余り、字足らずの多さ、散文に無理矢理節をつけたかのような全体のつくり、特に「結婚と決闘ララララララララララ」という部分など、ひょっとして歌にする気ないのかと思えるほど、ちぐはぐさというか一種シュールさがあり、何だか笑いがこみ上げてくる程です。

中島みゆきが手抜きをしていると批判したいわけではなく、それくらい筆者には謎な曲である、ということですが、結婚と決闘が同じ場面がある、というのは全く理解できないわけでもありません。
どちらも「申し込む」という動詞がセットになりますし、同じ場面とはそのことではないか、と想像します。若くない社員は昔結婚を申し込んで、その結果勝利したのか敗北したのか明らかではないですが、若い母親が黙ってしまうほどの重苦しい雰囲気を発したわけで、シャレにはならない重さを時に感じさせる言葉であるのだと思います。

それでも、中島みゆきがこの曲を何を言いたいのかはよくわからない(そんなことはどの曲でもわかり難いことですが)わけで、特にこの曲は寓話風であり、その意図が気になってしまいます。「短篇集」というアルバムタイトルが示す通り、この曲は半ば短篇小説で、物語の中から中島みゆきの人生観を見ることも或いはできるのでは、と思います。

2011年4月 3日 (日)

「過ぎ行く夏」

中島みゆきといえば粘着質で執念深いイメージがある、と書くと、そろそろ「お前の方がしつこいわ」と言われそうですが、割り切れない割り算を苦悩しながら延々と続けているような、たまたま割り切れた場合は爽快な曲になるような、いずれにせよ「夏だったでいいじゃないか」というような余りの部分を切り捨てる解答は認めないかと思ってたのですが、その意味で筆者のイメージを裏切った曲であると思います。

しかし、結局は割り切れていないニュアンスも感じます。一種の反語であって、夏だったからではすまないからこそ「ーか」という文末にすることで、そうだったらいいな、というささやかな希望を表現しているようにも思います。
結局は聴く人によってかなり解釈が異なりそうで、割り切ったようにも割り切らないようにも思えるし、そもそも「過ぎゆく夏」というタイトルからして過去を歌っているのか、現在を歌っているのか、よくわからない部分があります。

キャッチーな楽曲にさらっと流してしまいそうですが、様々な場面を想像できる多元的な曲だと思います。

2011年3月27日 (日)

「天使の階段」

「天使の階段」という、またもよくわからないタイトルですが、曲の方は初めて聴いた気がしないほどに中島みゆきの王道的メロディー、アレンジではないかと思います。わからないなりに聴き入ってみれば、天使の姿が見えてくるような、そのまま連れていかれるようなトリップした気分になります。

荒涼とした景色に天使が降り立ち、迷い子を呼び、また昇っていく、と想像すればひどく悲しく美しいストーリーも見えてきそうな情景ですが、「眺めに行かないか 天使の階段」というフレーズはどういう意味なのか、寒い野原を駈けてまで是非見る価値がある、という強い気持ちを言っているのか、それとも我々はただそれを眺めることしかできない、という寓意を含めているのか、意味ありげなフレーズだと思います。
このフレーズのみならず、象徴的で神々しくすらある詩と曲が、一瞬息をするのも忘れるような幻想的で美しい世界を作りあげていると思います。

中島みゆきといえば、具体的で身近な事象を歌った曲が印象的で人気もあると思うのですが、こういう抽象的で象徴的な歌も結構好きなんだろうなと思える、ある意味自由で開放感を感じさせる、らしい曲だと思いました。

2011年3月20日 (日)

「MERRY-GO-ROUND」

どことなく懐かしい遊園地の雰囲気漂う前奏から入る曲ですが、歌詞はわりと辛辣かつ露骨で冷たさも感じさせます。といってドライでクール、というわけでもなく、複雑な心情を織りこみながらどこどこまでも巡り続けるような果てしなさを感じさせる曲です。

珍しく(とか言ったらあれですが)、想うばかりではなく想われてもいる状況ですが、意中の人でないので「ただ時間の無駄」と残酷なばかりに言い切っています。しかし、「あの人」も同じことなんだろうな、と顧みる時、残酷さが自らに跳ね返ってきたような何ともいたたまれない気分になっているように思います。
何にせよ、想う側からみたら鼻にもひっかけられていないわけで、想えば想うほど「あの人」も誰かを想って遠ざかっていくような、互いの背中ばかり追いかけて誰も追いつかない、みんなで虚しい遊戯をしているようであり、そんな状況を「きれいな矛盾」と呼び、タイトルにもつながっているのではないかと思います。

冒頭にも書いたようにどことなく懐かしさを感じさせる曲であり、歌声も時折楽しげな雰囲気を醸しだしています。もしかしたらただの遊戯である、と割り切っているのかもしれず、或いは全ては私の心の中で回り続けている幻である、というような情景も想像できます。涙を流しながらも追い続けることを自覚した、さりげない決意の歌でもあるように思います。

2011年3月 6日 (日)

「後悔」

「後悔している」という素直すぎる告白が衝撃的な歌ですが、このフレーズがなかったとしても後悔の気持ちが十分に伝わってくると思います。こんなに力いっぱい後悔したらむしろ清々しい気分になってしまうのではないだろうか、と圧倒されたようなやや呆然とした気持ちで聴き入ってしまいました。

楽曲はオーソドックスな落ち着いた雰囲気で、歌も詞だけを見れば中島みゆきのレトリックが存分に発揮されてるとでもいうか、独自の暗喩が駆使されて様々な意味が読み取れるようになっていて、非常に巧みに作られているように思います。
しかし、後半になるにつれ、それらを無視するように破壊するように声は乱れ大きくなり、身も蓋も無い感情が剥き出しになっていきます。まさしく押し寄せる後悔の波にさらわれていくかようで、そんな感情の遷移をも表現した歌なのだと思います。

「1人に戻っている」という言葉が「貴方」だけでなく「私」のことでもあるようで、朝が来るともに消え去る一夜の幻のような感情を歌った曲だと思います。

2011年2月27日 (日)

「夢の通り道を僕は歩いている」

「夢の通り道」というよくよく考えてみるとよくわからない言葉が反復されますが、聴いているうちに確かに夢か幻かのようなおぼろげな道を歩いている気分になる、そんな心地良いような不安になるような、あるいは励まされているような不思議な感じのする曲です。

比較的わかりやすく、明瞭な言葉で夢の通り道を歩く自分の不安と決意を歌っており、特に解釈が難しい、ということはないと思います。筆者は「僕の身の程じゃなく 夢だけを照らしてよ」という部分に微妙な哀愁とでもいうか、幻想的な歌の中に突如「身の程」という奇妙にリアルで俗な言葉が出てきて、そこで一瞬夢から醒めたような、夢を追うと言いつつも決して浮世離れできるわけでも太平楽でもない、そんな気持ちが滲み出ていると思います。

夢の通り道とは夢に通じる道のことか、夢が通る道のことか、何にせよ確かな道ではないし、一本道でもないようですが、道を失う困難も十分覚悟しつつ、それでも追って行こう、という強い気持ちを歌った曲なのだと思います。

2011年2月20日 (日)

「帰省」

優しくて少し疲れを感じさせる歌声。故郷を歌った曲は幾つかありますが、これほど故郷の安らぎを前面に押し出した曲は無かったと思います。

都会と故郷という対比がとてもはっきりしていて、街の冷たさが身に染みれば染みる程、故郷の優しさが際立つようです。逆に書くと(そのままですが)故郷が懐かしく、温かなものになればなる程、街の厳しさ、無機質さが辛くなるようで、むしろ年の大半を過ごすはずの街暮らしがそんなでやっていけるのか、と心配な気分になります。
もっとも故郷は素晴らしくて都会は地獄、という単純な歌ではなくて、「もう半年がんばれる」の言葉があるとおり、あくまで自分の主戦場は街であって、そこで頑張って頑張って疲れ切った時の休息の場としての故郷を描いていると思います。そういう意味では街あってこそ故郷の良さがわかる、ということなのかもしれません。

後半からのベースがいい感じで演奏していると思います。それを聴きながらエレキがギャンギャンしてるような故郷だったら(それはそれでいいかもしれないが)ちょっと嫌だよなと、どうでもいいようなことを思いました。

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