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2011年2月 6日 (日)

「愛から遠く離れて」

「愛から遠く離れて」といい条、それが消え去って見えなくなる程には離れられず、むしろ付かず離れずの距離を置いてぐるぐると周り続けているような、そんな距離感が穏やかさと哀しみを生み出していると思います。思えばそれはこの曲のみならず、このアルバム全体に通じている感覚で、そういう意味でこのアルバムを象徴するような曲だと思います。

「時計を海に捨てに行こう 永遠のリフレインに」という詞が様々に解釈できると思います。海=永遠のリフレインと考えて、永遠の時の流れの前に区々たる時計など無意味だ、とも言っているようでもあるし、「リフレインに」の後に続く言葉があると解釈して、永遠に対する何かしらの感情をぶつけようとしている、或いはぶつけようとしているが上手く言葉が出てこない、そんな感情の動きを表しているようにも思えます。
愛は確かに遥か遠く、それを半ば受け入れて半ば否定する葛藤が描かれ、永遠のリフレインの意味も良いようにも悪いようにもとれる、様々な感情が入り混じった言葉である思います。

愛から遠くはなれて、という一種の自覚による落ち着きがあり、また自覚したところで消えるわけもない悲しさ、むしろ自覚した故の苦しさもあり、それらをひっくるめて全て遥かな海に還そうとする、言わば完結が近い、大人の愛の歌なのだと思います。

2011年1月30日 (日)

「時効」

張り詰めた緊張感と何かに追い詰められているような焦燥感、「時効」という法的なタイトルでありながら、自己と対話しているような非常に内面的な曲だと思います。

時効というと犯罪者が息を潜めて時が過ぎるのを待っているようなイメージがありますが、この歌でも全体としてはそれを肯定するように、時間さえ経てば過去の過ちを無かったことにできる、そういうことにしたい、という気持ちが随所から感じられます。
時効と言いつつも「誰も知らないことならば」、「証しが残されなければ」という部分から、おそらくこれはそもそも事件にさえなっていない、自分の心の中でだけの葛藤であり、この心の整理さえつけば完全に消えてなくなる、いわば完全犯罪が成立する事柄であるように思います。
しかし、その消えていくということを手放しで喜んでいない、むしろ未練が残っている風でもあり、「気つかずにいるのは 時の壁だけ いつまでも」という詞からも、自分の心にだけは残り続ける気持ちと、それを無視するように、世間から断絶するようにそびえる時の壁という構図が見え、全てを無かったことにしてくれる時への一種の恨みの感情さえ見られると思います。

誰も知らない、世間的には存在しなかったことだけれども、結局私の心の中からは消えることはない、この気持ちを抱えたまま進んで行こう、進んでいくしかないと、そういう心境を歌っている曲ではないかと思います。

2011年1月23日 (日)

「白菊」

幻想的、と書いたらまんまかもしれませんが、幻想であることを前提にした白菊の美しさ、儚さ、寂しさが見えてくるような曲で、冷たい冬の景色と相まって何だかこのまま大事なものが還ってこないような悲しみを感じさせます。

幻よ、という呼びかけからも、この歌の主体が幻であって、雪に紛れてどこからどこまでがそれであるかわからないような感覚の中、それを必死に守ろうとするような、或いはそれに万感の想いを託すような、そういう非常に脆く危うい心情を感じます。
と、同時に幻であることをどこかで自覚しているようでもあり、あくまで自分の心の内のみで咲く花であることを解りつつも、それを愛でずにはいられない、心に残る想いを大切にしたい、と歌っているようにも思います。

非常に冷たい雪の夜の景色が描かれる中、白菊の白さはむしろ寒さをいや増すような、或いは埋没するような淡さ、寂しさを感じさせつつも、心の中で一穂の灯りのように想いを灯し続けるのかもしれません。

2011年1月16日 (日)

「PAIN」

「歌え雨よ 笑え雨よ」と唱える度に場面転換するような激しい静と動のコントラストと、歌を一貫する身悶えするような痛みがあり、それが激動する人生、様々な人生がありながらも結局は逃れ得ない、いつまでも続く人間の悲しみを表現しているかのように思えます。
一方でストリングスによる重厚な曲感に大サビと言える終盤のヤマ場、一つのドラマが完結したような完成感もある曲で、そういう矛盾を含有した、大袈裟に言えば人間の普遍的な宿業、或いは生死の流転という大きな流れと名も無き一つの人生を対比させて、描き切った、大きな視点の曲だと思います。

問いかけが街にあふれていても、誰の声も聞こえない。淋しさを訴えかけられる人もいない。私だけでなく、おそらく皆がそうであって、誰もが傷つき、傷つけ、さらにはそれを解り合うことなく荒野の中で一人淋しがっている。翻って考えれば愚かしいとも何ともいえない状態で、「笑え雨よ」とはそういう傍から見れば滑稽にも見える人の心、エゴとも言える不合理さのことを言っているように思えます。
また「歌え雨よ」とはそう冷静に観じきったとしても消えない痛み、依然として残る割り切れなさ、理屈では軽減しない悲しみ、そういう気持ち、感情そのものを指しているように思います。

大と小、普遍と個、或いは合理と感情、そういった二律背反の歌であるように思いますが、この歌だけでなくこのアルバム、或いは中島みゆき全体に通じるテーマであり、それが強く鋭く劇的に歌われ、聴く者の目を覚ますような衝撃を与える曲だと思います。

2011年1月 9日 (日)

「SMILE, SMILE」

いつになくハッピーな感じで、よく聴いてみたら皮肉だったということもなく、表裏ない「君」への特別な思いが高らかに歌われていると思います(思わせぶりな前奏、後奏は多少気になりますが)。
中島みゆきの歌声も子供っぽい雰囲気で歌っている感じで、或いはじゃれているような、あやすような、甘えているような感覚に違和感を感じるほどです。

それだけに評論的な感想は書き辛く、夜会ゆえのスペシャルな一曲と思うべきか、それとも中島みゆきの曲はいつも一癖あるという思い込みが間違っているのか、ともかくも君の笑顔には不思議な力がある、と素直に認めざるを得ないとでもいうか、片思いの感じが多少汲み取れはするものの、悲しい曲であるとか、辛い曲であるとか、穿った見方はできない曲であると思います。

「SMILE, SMILE」というストレートな題名通り、素直な思いを君に伝えたい、という曲なのだと思います。

2011年1月 2日 (日)

「女という商売」

甘くてきつい酒のようとでも言うか、なるほど「SWEET POISON」という言葉は伊達でないというか、伊達でないだけに大抵の男はドン引きしそうなほどに露骨な毒が含まれていて、かえって酔いが醒めそうな凄味、エグ味がある、と筆者は思いました。

これまででも最高なくらいに色っぽい曲だし、享楽的な雰囲気もあるのですが、「嘘をついてあげる」という矛盾を含んだ本音がはっきり宣言されて、本当に嘘をつく気があるのか、夢を見せる気があるのかと、むしろそういう仕事に嫌気がさして、わざと内幕を見せつけているような、ヤケになって何もかもぶちまけているような、そういう破壊的な衝動があるような気がします。
どいつもこいつも癒されたがっていてうんざりだが、そいつらがいてこそ商売が成り立つ。そんなジレンマに対してこういう歌を歌うことで発散をしているような、そんな情景であるような気がしてなりません。

夢を捜す側でなく、夢を売る側の立場になって、その本音を露骨に書き切った、容易に飲み込めない毒を持った曲であると思います。

2010年12月26日 (日)

「LAST SEANE」

約3分ほどもある前奏、その間に囁きとも溜息とも呻き声ともつかないボーカルが聞こえ、続いてやはり気だるい声で意味深な詞が語られます。インスト曲かと思えるほど言葉短く、静かで、それでいてひどく重々しく哀しい印象を残す曲です。

何がラストシーンなのか、わかると言えばわかる、その虚しさのみが延々続くような、ラストとは継続するという意味で使っているかと思えるほどに悶々とした時間、風邪で熱を出したときにこの苦しさが永遠に続くんじゃないかと思えるような瞬間、そういう永い永い一瞬の情景を描いているんじゃないかと思います。
或いは、布団をかぶって妄想を続けているような、たまたま点けたTVで流れたラストシーンからあれこれ物語を想像したけど、結局ラストは決まっているので虚しくなった、という風にも解釈できます。

いずれにせよ、非常に内向的な曲で、自身の中で繰り返される苦しみ、葛藤、孤独、虚しさをラストシーンに仮託してつぶやいている、そんな歌なのではないかと思います。

2010年12月19日 (日)

「紅い河」

幻想的で叙情的な風景が歌われます。「紅い河」とは何を意味するのか、やや抽象的な歌詞なので、これだ、とも断定できませんが、或いはスローなリフレインが悠久の流れを表しているようでもあり、頭の片隅でいつまでも流れ続けるあの人への想いを歌っているようでもあります。

時のままに流れていく河と置き去りにされる私の心、何となく大河の傍らで呆然と立ち尽くしている私、というような構図が思い浮かびます。「河に写るのは空の色」とあるので、「紅い河」とは黄昏に染まった河、という意味かもしれず、一日の終わりに向けて流れていく河に哀しみをこめて語りかけているように思えます。
「どこへゆく」と言いつつも、その行き先はわからないにせよ自分からは遠ざかっていくことは間違いなく、その上で「さかのぼれ」という無茶を言わずにはいられない、虚しくも切実な願いを歌っていると思います。

もしくはそれら全てが幻想か、思い出の中であるかのように、紅く染まった心象風景を歌っているのかもしれません。

2010年12月12日 (日)

「1人で生まれて来たのだから」

中島みゆきでには今までなかった珍しいビートの曲で、音楽知識が無いのでそれ以上の解説はできませんが、爽やかで華やかにさえ感じる演奏に乗って、後ろ向きで絶望的とさえ思える歌が流れていく、不思議な感の曲です。

しかし、一概にネガティブだとか、絶望的だとか言えない雰囲気もある曲で、「ジャスミン」という呼びかけに、ジャスミンが何なのか筆者にはわかりませんが、同情やあきらめ慰め、励まし、そういうものを全て含みながらもそういうことよりも、もっと己の底から突き上げてくるような感情がこめられているように感じます。
ジャスミンとは自分のことであり、一人で生まれて一人で生きていことが当たり前である、という認めたくないような真実に突き当たった時に、葛藤と共にこみ上がる叫びであると思います。
それが歌声になって発せられる時、突きぬけ感と共にこめられた悲しみが煌々としているようで、むしろ華やかで儚げな印象を受けるのだと思います。

この「月‐WINGS」というアルバムが「日‐WINGS」と同時発売であるということは知っているのですが、内容も対になるものなのか、名前とは裏腹にこちらの方がノリ良くキャッチーになるのではないか、などと想像しつつ(筆者の予想はよく外れますが)、聴いていこうと思います。

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