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2010年12月 5日 (日)

「明日なき我等」

「衆生」というポップソングには適さなさそうな言葉が出てきます。私感ですが衆生というとどことなく哀れっぽいイメージ、キリスト教風に言ったら迷える子羊とでもいうか、神なり仏なりに救われなければ永遠にさ迷い続ける悲しい存在、というニュアンスで言われることが多い気がします。少なくとも筆者には陰気な感じがする言葉で、ポップソングにおける自己の高揚とはおよそ遠く、使いづらい言葉であるように思います。

が、この歌では衆生の心の弱さや迷いっぷりが包み隠さずあけすけなほどに歌われ、それを容赦なく「憐れ」であると言い切ります。筆者が言う自己の高揚などという虚勢はこの歌では斬り捨てられており、明日なき我等がひたすらにあるがままに迷い、脅され、打たれ、さすらう姿が描かれていると思います。そこに虚勢はなく、生きていく辛さをそのままに、逆巻く波間に消えていくとしても、懸命に生きている姿が見えるようで、中島みゆきの歌声に無限の優しさが込められているような気がします。

中島みゆきにとっての衆生はやはり悲しい存在かもしれませんが、陰気なものではなくて、「我等」であって、ただひたすらに人間である、ということなのかもしれません。

2010年11月28日 (日)

「Good Mornig, Ms. Castaway」

意表を突かれた、という感想がまず湧いてくるのですが、ミュージカル風というか3拍子の軽妙なリズムに乗って「Good Mornig, Ms. Castaway」という相当ネガティブにも捉えられる台詞が奇妙に明るく発声され、続いて謎かけのような詞が歌われるという、聴き終った後も狐につままれたような気分になる曲です。

castaway=漂流者、見捨てられた人、という意味と、歌詞の随所で感じられる漂白感、停滞感から様々な因果関係に疲れた人がふと立ち止まって自らを振り返っているような、或いはそういう休息の時間を夢見ているような、そんな情景が想像されます。
この曲も夜会の一部であることを考えれば、前後になんらかのストーリーがついていて然るべきですが、この曲だけを聴いてみれば限定された状況だけに応じる曲ではなくて、寓意を含んだ普遍的な楽曲なのだと思います。といって、それが何だか上手く解説できないのですが。

それよりも何よりも、中島みゆきの持つ一種の遊び心というか、ポップさというか、愛嬌というか、はんかくささというか、もしくは胡散くさいというかもしれない面白さが滲んでいる曲で、聴きながら何となく楽しい気分になりました。

2010年11月21日 (日)

「知人・友人・愛人・家人」

聞いているうちに何となく寝入ってしまいそうな、独りごちながら静かに息を引き取る、といったら言い過ぎですがそれくらいの孤独感と奇妙な静寂がある歌です。自分の席がない、という嘆きの他にどことなく夢を見ているような幻想感、諦念感を感じさせます。

知人、友人、愛人、家人と並び、それらのどれとも違う、何者ともつかない自分への嘆きが歌われますが、単に「あなた」の愛が欲しい、そして確固たるポジションを与えられたい、という意味ではないような、もっと内面的で根本的な部分での不足を感じさせます。それが何なのか筆者にもよくわからないのですが、求めても決して与えられない、それがわかっているような悲しさがあるように思います。
「旅に出ようよ」と言いつつも、実際それを願っているというより、あまりの身の置き所無さから思わずそんなことを口走ったかのような、夢に過ぎないことを本人がわかっていそうな、そんなどうしようもない哀しさ、虚しさがあると思います。

この一曲だけでは聞いている側も雰囲気から何となく察するのみで、「わたし」の位置がよくわからず、やや感情移入しづらい曲のようにも思います。一連のストーリーの中で聞いていこそ真価がわかる曲なのかもしれません。

2010年11月14日 (日)

「難破船」

低く、どことなく苦しげな歌声にやはり重苦しい演奏と、歌詞からして今難破している風でもないですが、そういう暗い予感、運命を感じさせる歌です。

小さな不安が船が進むにつれてどんどん大きくなるように、「風に抱かれて」のフレーズが繰り返す度に捨て去りたいはずの想いが増大していくようで、このままどうなってしまうのだろう、先に進むよりもいっそ船が難破してくれた方が心としては救われるような、「明日は台風で学校が休みにならないかな」に近い、と言ったら卑小すぎるかもしれませんが、それと多少類似するネガティブな願い、自分ではどうしようない運命のようなものを呪い、縋り、翻弄される様が歌われていると思います。

または過去のしがらみ、断ち切れない想いを船ごと難破させて清算したい、という風に解釈もできるし、そういう想いと裏腹に船は難破せず重い荷物を抱えたまま進むのだろう、と言っているような気もします。色々な含みを持った重みのある曲であると思いました。

またも蛇足ですが、「難破船」って中森明菜の歌じゃなかったっけ?これも中島みゆきの提供曲だったのか、と少し調べたところ、タイトルが同じなだけで別の曲であることがわかりました(調べるまでもなく歌詞が全く違うだろ、と怒られるかもしれませんが、中森明菜の方も殆ど憶えていなかったので)。このブログを覗くような人は100%知っているとは思いますが、一応記しておきます。

2010年11月 7日 (日)

「あなたの言葉がわからない」

綺麗な伴奏に乗って、優しい歌声で、他愛のないような言葉が、消え入るように流れて行き、わけもわからずに胸を打たれますが、この歌の正体こそ何なのか、誰にもわからない悲しみに溢れた曲だと思います。

月並みに考えれば、あなたの言葉がわからないと言いつつも本当のところは私のことをわかってくれない、気持ちが通じない、という意味だろうということが「あなたに心がないのかと間違える」という部分から読み取れるのですが、「あなたがこの世にいないかと間違える」までいくと、言い過ぎだろ、と思いつつも、そのむしろ陶然とした声に逝ってしまうのは「わたし」の方ではないかと一種心配な気分になり、一体誰が何をわかってないのか、それこそ何もわからないまま何もかも消えていくような奇妙な気分に陥ります。

A,B,Cと言葉が続きますが、曲が進むにつれ言葉というよりは音に近づいていき、最後には言葉としての意味は失くして音楽としての美しさのみになると思います。そんな、失くすこと、わからないことの物悲しさと美しさが同居する歌なのだと思います。

2010年10月31日 (日)

「異国の女」

何だか良く分からないし、何を言っているのかもよく聴き取れない、言葉というより風が吹きすさんでいるような、歌というより何か不安を煽るBGMが鳴っているような、ひどく淋しく、正体不明な怖れを感じさせる曲です。

確かに異国の雰囲気といえばそんな感じもしますが、異国情緒を感じさせる歌であるとは決して言わないかと思います。異国情緒とは大抵が自国にいるときに他国の文化様式を賞でるときに使う言葉、賞でるだけの余裕があるときのものですが、この歌では状況は真逆で、圧倒的に異質な文化の中で消え入りそうな自分を感じているのだと思います。異国の女とは自分のことである、と気付かされたときに感じるどうしようもない不安、人間が人間であることの根っこに近い部分での恐れ、悲しみを歌っているように思います。

「私をなびかせる」という一節が、それでも吹き飛ばされずに持ちこたえている、という意味だと解釈できなくもないと思います。異国にいる異国の女が風になびきつつも、健気に生きていく、そんな情景の歌なのかもしれません。

2010年10月24日 (日)

「羊の言葉」

「羊の言葉」という唐突なフレーズで始まるこの曲は、やや謎めいた雰囲気で女心をわからぬ男への箴言を象徴的に語っている、ようにも思えますし、単に気が多いことの言い訳をしているようにも思えます。かかりっぱなしのコーラスがそんなさ迷う女心を表しているのか分かりませんが、象徴的、抽象的ではありますが高尚なことを歌っているわけではなく、ごく下世話なありふれた男女のことを歌っていると思います。

「羊の言葉」とは冒頭で出てくる「無口だった筈の女が急にしゃべりだした」ことを指すと同時にこの歌そのもののことを言っているようでもあります。
臆病で迷いやすい羊が出したサインに気付かず、あるいは気付かぬふりをしたまま放置すれば、羊が迷って何処かへ行くのは当然だと、苦言のような、恨みごとのような、或いは皮肉のような、おそらくどれともつかない複雑な気持ちを言っているのいだと思います。

「それがあたしの今の彼よ」というオチの部分ですが、この歌が何かのストーリーの一部であることを想像させるフレーズだと思います。様々な男女の出来事の一幕を描いた曲なのだと思います。

ところで、このアルバムが「10 WINGS」と同様、夜会からの抜粋曲でできている、ということは知っていたのですが、この曲も全体のストーリーがわかればこの曲ももっと判然とするのかも、と思っていたら、なんと歌詞カードの末尾に簡単な曲解説がついていることに(今頃)気付きました。しかし、原則的に事前情報無しで聞くことを前提としているブログなので、それもとりあえず読まないで感想を書いていこうと思います。以上蛇足ながら。

2010年10月17日 (日)

「いつか夢の中へ」

非常に歌っぽい歌とでもいうか、デュエットもさることながら、中島みゆきの歌も声を大事にしている感じで、歌詞の意味云々よりも夢の中にいるようなその雰囲気に浸ることが大事なのではないかと思います。ただ、歌い手がやや浸りすぎで、リスナーが置いてきぼりな感がなきにしもあらず、とも思いました。リスナーというより筆者とは波長が合わなかっただけかもしれませんが。

デュエット形式ではありますが、一緒にというよりは別々に同じことを歌っている、という印象で、微妙に合わないハーモニーといい、やっぱり中島みゆきらしいという感じがしました。同じものを求めながら出会うことない二人、というドラマチックな構図で、でもいつの日か、きっと夢の中ででも出会うことだろう、とお互いに歌い合うことで運命的な出会い、半ば幻想的ながらも希望を歌っていると思います。

いつか夢の中へ、というフレーズは大変微妙な言い回しで、結局誰とも出会わないまま夢の中へ、そんな意味も含んでいるように思います。おそらくはっきりいつとはわからない、でもいつかは解るだろう未来、希望も不安もある道の先を美しく、運命的に歌った曲だと思います。

2010年10月10日 (日)

「NEVER CRY OVER SPIRT MILK」

表題どおりの「NEVER CRY OVER SPIRT MILK」というフレーズがくり返され、何だか意味も意義も身も蓋もないような、この言葉に深い意味が籠められているというより(籠められているとも思いますが)、言葉の流れに身を委ねて気分が良さそうな印象を受ける歌です。

生憎その気分は文章では表し難いので、どうでもいいようなことを書きますが、よく使われる(というか辞書などでよく見かける)英語表現として"It is no use crying over spilt milk"があり、これは文字通り泣いても無駄だよ、しょうがないよ、と割と冷たいというか一種の諦念、あきらめのニュアンスがあるように思いますが、"NEVER CRY"となるとやはり文字通り泣くな、くよくよすんな、というようなより情感がこめられた強い意味になって、人を励ますニュアンスがあるように思います。おそらくこれは慣用句ではなく中島みゆき独自の表現で、「あやまちばかり繰り返す人生でも 悔やみ続けて終わるなんて悲しすぎるわ」という部分でその切実な意味がはっきり説明されていると思います。

でも一番くよくよしているのはあなたじゃないか、という感想も相変わらず出てくるのですが、「あばいてもあばいても」、「直して直しても」という言葉の通り、果てしない自問自答の輪の中で、自分自身の中で延々と響き渡る言霊を表現した歌なのかもしれません。

2010年10月 3日 (日)

「竹の歌」

どことなく民族的、民俗的な匂いのする歌で、七曜の運行に基づいて従って私達の日々の生活を卜占的に捉えている、わけではなくて、多分七曜とか卜占とかとはあまり関係なく、より素朴な自然信仰、或いは元は外来の思想でも土着の風俗と融合してその土地独自のものとなっているような、そういう自然に出来上がった郷土の信仰や思想、そういう土地に根を張ったものに対する尊敬や信頼を歌っっている曲だと思います。

中島みゆきの歌は常に郷土を求めている雰囲気があり、国家的な規律や制度とは無縁でそれ以前に成立している土地の風俗や慣行、或いは自然などに一種の安らぎを見出ていることが多いと思います。
「青に黄に緑に 移ろいゆく旗」というフレーズからも、中島みゆきにとって国家的な規律や制度というものは仮のものであって、その旗がささっている土地の方こそが無くならないものであり、自分達が棲む場所である、という思想が見えると思います。

つまりは竹の歌、月火水木金土日でもなく竹の歌であって、竹というオリジナリティ、それ自体はありふれたものでありながらしっかりと土地に根を張って、まさにその土地そのものである竹、郷土を歌った曲なのだと思います。

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