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2010年7月18日 (日)

「パラダイス・カフェ」

タイトル曲ですが、このアルバムを象徴する、とは一聴して思えない、享楽的で刹那的でむしろ異質な雰囲気の曲です。

実を言うと、この曲も初めて聞いたというのと少し違って、かつて盗賊さんがこの歌をむやみやたらとエンドレスに口ずさむ時期があって、その時に少々くどい印象とともにこの曲のタイトルが脳裏に刻まれたような気がします。
改めて中島みゆきの歌を聞いてみると、確かに口ずさみたくなるようなメロディーと、くどさ、というより後を引く味わいとでもいうか、悩みが無い、と言いながらも、割り切れないものを抱えながら一時の快楽に耽るような、ある種の重たさを持っていると思います。
冒頭に享楽的、刹那的と書きましたが、それは軽やかなものではなく、むしろ軽やかな部分は揮発してオイルとなったような、重くて絡む可燃性の何かを歌った曲なのだと思います。

やはり、バラエティーに富みながらも、どの曲も割り切れない、胸にひっかかる気持ちを残す、このアルバムを象徴する曲なのかもしれません。

2010年7月11日 (日)

「阿檀の木の下で」

穏やかながらも異質な雰囲気を持った曲で、台湾か沖縄のことを歌っているのかのようにも思われますが、政治的、歴史的な問題を扱っているという風でもなく、運命を悲しんでいるかのようなひたすら情緒的な風景が語られます。

或いは架空の島のことを歌っているのかもしれず、歴史や運命といったどうしようもない大きな力に翻弄され、慣れない制度や文化を人力的に押しつけられる小さな島とひとたちの物語というのは、直接同じ経験を持っていなくても共感できるというか、どんな社会も抱える根源的な悲しみ、怖れであるように思います。
また、そういう社会的な事柄とは別に生き続ける阿檀の木がむしろ悲しみを深めていると思います。国破れて山河あり、とは少しニュアンスが違うかもしれませんが、故郷が故郷でなくなっても草木が相も変わらず在り続ける風景は人の営みのむなしさを教え続けているようでもあります。

中島みゆきが描く故郷の歌は戻りたくても戻れない雰囲気の曲が多いと思いますが、この歌は故郷そのものが別のものになってしまったようで、喪失感が特に大きいと思います。埋まることのない感情をただ切々と営々と阿檀の木に託して歌い続ける曲なのだと思いました。

2010年7月 4日 (日)

「たかが愛」

いったいどの辺が「たかが」なのか、愛を全く見切れずに、むしろ翻弄され、眩惑され、それでもなお愛を渇望するような叫びが印象的な曲です。

それだけ、と言えばそれだけのような気もする曲で、感想を書くためのとっかかりが少ないと言うか、時に屈折して一癖も二癖もある「愛」を歌うことが多い中島みゆきにしてはやや平坦な印象がある曲です。
その分、歌声は伸びやかになっていると思いますが、歌声を堪能するにはギターの後奏が目立ち過ぎな感があり、全体としては(筆者としては)空振りな雰囲気に終わってしまったと思います。

と、批判めいた感想になってしまいましたが、一癖も二癖もありすぎて考え込んでしまうこともある、または考え過ぎじゃないかと心配してしまうことさえもある中島みゆきの曲の中で、こういう曲もいいんじゃないか、と思いました。

2010年6月27日 (日)

「蒼い時代」

初期の時代を髣髴させる細い感じのする声と微妙に古臭い秩序感覚。蒼いとは蒼古とした、という意味なのか、クラシカルな美しさを感じさせる曲です。

いつもと言えばいつもですが、筆者は中島みゆきの歌、その主人公の気持ちには容易に同調できないのですが、この曲では特に相手の親が謝りに来るという状況がいまひとつ想像できず、或いはこの曲の設定が結婚(とは曲中にはっきり書いてはいませんが)とは家同士のもので、親の権限が絶大な時代である、としているのだとしても、やはり単に男が約束を反故にしただけのひどい話だな、と思うだけで、主人公が感じているだろう「蒼い時代」への屈折した感情や甘美な思い、というものには手が届かない感じです。
強いて想像するならば、親が謝りに来る、ということがその時代の非常に重たい権威、一種不可抗力的な現実の力の象徴であり、それにより断絶された「私」の想いというものは、現実に断絶された故に非現実的な美しさをいつまでも保つ、ということではないか、と思います。

やや田舎芝居めいている、というのが正直な感想なのですが、悲劇にはならないで、現実を受け入れてちゃんと生きていくあたり、日本的な感覚も表れているようで、中島みゆきの美的感覚、秩序感覚が垣間見える興味深い曲であると思います。

2010年6月20日 (日)

「SINGLES BAR」

吐息をつくような歌声で独り身の寂しさを切々と綴ります。寂しさを前面に出しながらも、誰にも触れて欲しくないような、それでいて誰もいないと虚しくてやり切れないような、そんな微妙で満たしようのない人恋しさが歌われていると思います。

「人の気配がする暗がりに身を寄せたくなる」ほどの寂しさを感じたことのない筆者としては、やはり「私」の立場になってこの歌を聴くというよりは、飲み屋でたまたま会った酔客にこう語られてしまったような、当惑した気分になりました。
「で、あなたは私にどうして欲しいんですか?」と言うのは禁句だと思いつつも、かといってこういう場合に適した言葉というものも見つけられない、そんな持て余す感覚ですが、おそらく「私」も自分の気持ちを持て余しているはずで、その余った気持ちと時間を持ち寄って過ごす場が「SINGLES BAR」なのだろうな、と思います。

帰りどきを自分で決める、と言いつつも、結局は帰りどきを失ったまま呆然と時間を過ごす、そういうまんじりともしない夜の時を描いた曲だと思います。

2010年6月13日 (日)

「なつかない猫」

猫があくびしたような駘蕩としたメロディーに、やはり猫を意識したような歌声、というより猫撫で声というべきか、そういうおどけたような戯れ歌のようなつくりですが、猫を通して幾つかの人生が見える、かなり含蓄に富んだ歌だと思います。

この歌に出てくる猫は確かにこんな猫いそうだというリアリティを持ちつつも、多分に象徴的な存在で、「湖よりも鎮まりかえった瞳で」男たちを見ているあたり、一種、古い神か精霊のごとく、時代や人生を見守り続けているような印象があります。
でも、猫の一生は短いので、そんなものでもなくて、ただ自分の性のまま、あるがままの瞳で世を見ている、そんな落ち着き払った猫を、ユーモアの視点で悟りを開いたような存在として象徴的に描いているのかもしれません。

ところでこの曲は中島みゆきにしてはギターのリフが目立っていて、ギター・バンドを聴いているような気分になりました。無論それは曲の雰囲気に合ったものですが、少し新鮮というか、この曲をより楽しい気分のものに仕上げていると思います。個人的な好みで言えば大分好きな感じの曲です。

2010年6月 6日 (日)

「それは愛ではない」

「それは愛ではない」というあまりにサビらしいサビがあるため、聴き終わってみるとそれしか印象に残らない感じです。そうか、愛ではないのか、と思いつつも、「それ」とは一体何のことだったか、聴き終わった時点では最早憶えていない、そんな釈然としないまま押し切られるような変わった後味の曲だと思います。

「ひとときの人間の心に倒れこみたい」ならば、それはそれでいいじゃないか、と思うのですが、わざわざ「それは愛ではない」と加えるのは何故か。多分に感情的な言葉であって的確に整理はできないのですが、或いは愛ではないと言いながらも、でももしかしたら、という背反の気持ちなのかもしれず、或いはこれは愛ではないけど今自分が心から欲しているという肯定的な意味なのかもしれず、或いはこれではなくて愛が欲しいという、満たされない気持ちを歌っているのかもしれず、それらが入り混じった複雑な、それでいて同根の渇望のような愛を歌った曲なのではないか、と思います。

と、やはり釈然としない解釈になってしまいましたが、「愛ではない」という力強く、はっきりとした物言いとは裏腹に、色々な感情が溢れて幾筋にもなって流れていくような、複雑な気持ちの曲だと思いました。

2010年5月30日 (日)

「ALONE, PLEASE」

静かに、悲嘆にくれているような曲で、後ろ向きでもあるし、恨みっぽくもありながら、不思議と心が落ち着くような安らぎを感じる曲です。暗闇の方が心地良いときもある、とでも言うのか、「LEAVE ME ALONE, PLEASE」が嫌味ではなく心からの言葉であるように聴こえます。

決して孤独が好きだ、と言っているのではなくて、求めても求めても叶わないことがあるとき、いっそ消えてしまいたいような気持ちになる、そういう場合に中途半端な気遣いはかえって傷つけられてしまう、ということなのだと思います。この曲における孤独、ALONEとはむしろ心の安寧であり、無遠慮な光線から身を守る皮膜であるように思います。

知られなかったことが悲しい、でも知られたくはない、そういう矛盾を抱えながら、秘めたる想いを秘めたままでいることを、その悲しさと優しさを歌った曲なのだと思いました。

2010年5月23日 (日)

「永遠の嘘をついてくれ」

やや軽すぎる感もあるアップテンポな曲調に、早口でまくしたてるような歌、というスタイルに意表をつかれました。一聴すると爽やかでその分気楽で何も考えていない、いかにもな歌謡曲という感じですが、やはり中島みゆきとでも言うか、聴きとってみれば気楽とは言い難い、悲嘆のような哀愁のような人生の悲喜がこもっている曲だと思います。

「中島みゆきはしつこい」というのが、筆者が抱いているイメージの一つですが、この歌でもそれは遺憾なく発揮され、その究極として「永遠の嘘をついてくれ」というフレーズが出てきているように思います。
真実は無理だからせめて嘘をついてくれ、という諦めともとれる言葉ですが、「永遠」の嘘とはいつまでも続く嘘であって、むしろ、これからもずっと求め続ける、決して諦めないという宣言ではないかと思います。そして同時に「嘘」であることも理解しているわけですが、この嘘とは、事実かそうでないか、という意味ではなくて、誰かの求める希望、その人にとっての真実という意味であって、希望をいつまでも捨てない、という意味ではないかと思えます。

中島みゆきの歌は、皮肉で冷めたようなときもあるにはありますが、根本の方では決して諦めたり、見捨てたりすることはないように思います。いつまでも、どこまでも切れることのない愛、或いは情念、それらを爽やかに言い切った曲だと思います。

2010年5月16日 (日)

「伝説」

近頃こんな曲はなかったような、でもとても中島みゆきらしい、と思える曲です。楽器の演奏は控えめで、リズム隊と歌声がメインになっていますが、悲しげでやるせない雰囲気が切々と伝わってきて、ほとんど歌声だけでこんなに聴かせるなんて、中島みゆきってやっぱり歌が上手いんだなあ、というアホみたいな感想が久々に沸いてきました。

「伝説」というタイトルは逆説的なものと捉えるべきでしょうか。むしろ伝説からは省かれたような、省かれても本筋には影響がないような微弱な者たちの立場になって嘆いている感じで、それでも叫び、あがきながらその存在を歌っているように感じます。
時の彼方に消えてしまってもあなたにだけは知って欲しい、知って欲しかった、という激しい恋の歌のようにも思えるし、誰にも伝えられずひっそりと終わっていく、そんな知らざれる伝説への鎮魂歌のようにも思えます。

考えてみれば伝説になるかならないかなんて、埒のないような話だとも思うのですが、ふとした瞬間に何も残さない人生が無意味に思える、ただ消えていくだけの虚しさに胸が締めつけられる、おそらく誰にでもあるようなそんな気持ちを歌った曲なのだと思います。

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