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2010年2月21日 (日)

「眠らないで」

眠らないで、眠らないで、と囁きながら眠りにつくような、或いは最初から夢寐の中のような、そんな狭間をいったりきたりする曲だと思います。

歌詞は他愛の無い、睦言のようにも思えるし、一人寝の虚しい寝言のようにも聞こえるし、ごく典型的な心情を普通の言葉で描いてるように見えながら、幾通りにも解釈できて、聴き手によって見える情景が異なる、中島みゆきの歌の特徴(の一つ)がよく出ている歌だと思います。
筆者はというと、「みんな夢だったなんてことないよね」あたりに手のつけられないようなヒステリックさと情緒不安定さを感じ、不安と心配な気持ちになりました。もしかするとこの歌は筆者の中の潜在的な恐怖をゆり起こしているのかもしれません。

などと心理テストのような解釈をしてしまいましたが、この歌にはそんな夢占いでもしているかのような幻想的な甘さと頼りにならない心細さ、不安が同居していると思います。

2010年2月14日 (日)

「YOU NEVER NEED ME」

「You never need me」という見も蓋もない叫びに圧倒される感がある曲ですが、必要である、とは現実的あるいは科学的に必要かどうか、という意味ではなくて、あくまで情感としての意味であり、ただひたすらそうである、誰が何と言おうともわたしはあなたが必要である、という気分であり、この歌はそういう情感の洪水にただひた押しに流される曲なのだと思います。

序盤とサビ、終盤の音量の差が大きく設定されており、序盤を適当な音量を合わせると、サビがやたらでかくなって吃驚する曲でもあります。正直に書くと、筆者はまずサビの音のでかさに圧倒されたわけで、歌詞がどうというより、有無を言わせない迫力を重視した曲だと思います。
あとは、その音の奔流に身を任せられるかだと思うのですが、非ファンの筆者としては安全域で遠くの洪水を見ているような、やや引いた気分でしかこの曲を聴けないようです。しかし、この流れに身を投じて、ひたすら「You never need me」と叫ぶことができたら、これほど甘美で感動的な曲は無いように思います。

「あなたがいけなければ私は生きる甲斐がない」、「息をすることと同じくらいあなたが必要」とまで言い切れる人、あるいは思い込める人がこの歌の真のリスナーになれるのではないか、と思いました。

2010年2月 7日 (日)

「風にならないか」

「風にならないか」というフレーズが救いになっているのか、それとも止めを刺しているのか、よく解らないのですが、ともかくこの言葉はただ単に追い詰められた者の迷妄というよりは、暗闇で迷い続けている「自分」を新たなる道へと後押ししているような、そういう決心、決意の雰囲気を持っていると思います。

歌詞では対句を多用して、あちこちに揺れる心を表現していますが、その中でも「だれにも置き去りにされたくはない だれをも置き去りにさせたくはない」という詞が少し異様な感じがします。「だれにも置き去りにされたくはない」の対句なら「だれも置き去りにしたくはない」が平凡だと思うのですが、「だれをも置き去りにさせたくはない」という聞き慣れない表現が使われています。
単に語呂の都合上でそうなっているだけかもしれませんが、深読みするならば、「置き去りにさせる」場合に、置き去りになる人間はおそらく自分であると想定していると考えられます。つまり、この対句は自分が犠牲になるか、他人が犠牲になるか、の間で悩んでいるのではなくて、自分は犠牲になりたくないけど、よしんば自分が犠牲になったところで、今度は誰かが加害者の罪を背負うことになる、という意味ではないか、と思われるのです。
自分が置き去りになる第一の候補である、と決めてかかっているのが、この歌の一種の優しさであって、重い悩みでもある、と思います。

風になるとはどういうことか、具体的にはわかりませんが、或いは執着を捨て去って身軽になれ、という意味かとも思われます。冒頭、決心の雰囲気があると書きましたが、悩み続ける「自分」がもう少しで捨て去れそうな、でも捨てられないような、そういう際を描いた曲であるように思いました。

2010年1月31日 (日)

「夢だったんだね」

軽やかでポップなメロディー、空まで昇るような高揚感がある曲は、必ず叩き落される、昇れば昇るほど墜落の落差、衝撃が激しく、立ち上がれないようなダメージを受ける。中島みゆきの一種定番とでもいうか、最早そういう瞬間を期待せずにはいられない自分を発見しました。

自分で最初から夢だと言っておきながら、「でも夢だったんだね」というあたり、そんな事わざわざ確認せんでも、と言いたくなる気持ちになりますが、ごく平凡に解釈するなら、「夢はいつでも―」のくだりの夢は、例えば「将来の夢」などに類似した希望を多分に含んだ言葉であり、一方、「夢だったんだね」の夢は現実の対義語としての夢であり、いわば絶望の夢であって、2つの夢は同じ言葉でありながら、ほぼ対極の意味であると思います。
「でも」という短い接続詞の間に断崖のような落差が横たわっているわけで、その墜落の瞬間に思い浮かぶ様々な想い、感情がこの歌の肝であるような気がします。

最後の方では「でも夢だったんだね」のフレーズがむしろ突きぬけるような、彼方へ飛び去っていくような感覚になっているようにも感じます。もしかしたら、高度差がありすぎて墜落というより、スカイダイビングのような快感が走っているのではないか、などと想像したりします。

2010年1月24日 (日)

「流星」

割と抽象的、象徴的な詞が多かったこのアルバムの中で、久々に体験談かと思えるような具体的な出来事やリアリティがあるおっちゃんが描写される曲ですが、それでいてリアルさに味があるというよりはむしろ幻想的な気持ち、旅行く者への感傷、甘悲しい(とでもいうか)旅愁を表現している歌だと思います。

特におっちゃんや主人公に帰るべき場所が無い、とは書いてはいませんが、それでもやはりそんな雰囲気があり、「体こわさず がんばってみなよ」、「たまには親にも telしてやんな」という優しい台詞におっちゃんの儚さ、体を壊したらお終いであり、telすべき親もいない、という心許なさが想像できます。この曲はそんな現代の放浪者、旅人というべき者達を流星に例えて、一瞬の出会いに無限の愛惜をこめて歌っているのだと思います。

流星は儚いものの代名詞でもありますが、案外、おっちゃん達が愛する言葉のようにも思います。流星とは単に悲しい、哀れである存在ではなく、光芒を放ち、願いを託す存在でもあり、そういう美学も相応しいものとして、中島みゆきがおっちゃんに贈る言葉でもあると思います。

2010年1月17日 (日)

「てんびん秤」

もやーんとした妖しい雰囲気で始まる曲ですが、結局その雰囲気のまま、不平、嫉妬、自虐、皮肉などの色とりどりのもやもやの中で踊っているような感じで、全くもってすっきりしない曲です。それでいて酔い痴れているような一種の快感を感じさせる曲でもあります。

男によって天秤にかけられる女、と言う構図で書かれた曲で、「女はとても男のように器用に生きてはいけないわ」という詞があるように、男女の特性の違いや、ひいては女の気持ちをわからない男達一般を批判しているようにも思えます。
ただ、筆者にはそういうことよりも、天秤にかけられては都度軽く見られる自分、という一歩引いた視点で己を見たときにこみ上げてくる可笑しみ、馬鹿馬鹿しさ、そういうものを戯画のように描いている曲のように思います。

自虐的でありながら、自分中心に見ていない。自分も含めて浮世を皮肉と諧謔を以って眺めている。これほどに惨めな自分を歌っていながら、面白さ、痛快さのようなものを感じるのは、そういう要素があるからだと思います。

2010年1月10日 (日)

「アンテナの街」

型どおりにはまらないとできそこないと呼ばれる、こんな街は出て行こう、と、ある意味これも型どおりの主張であり、お約束の展開ではあるまいか。
という解釈をする筆者も所詮型どおりの人間とでもいうか、多分この歌を味わうにはこの歌が発表された頃の社会の風潮だとか、或いはこの歌でしばしば出てくる「血縁」という普段はあまり口にはしないものの、どこかで我々の意識を常に束縛しているような言葉、観念に対して中島みゆきが抱いている想い、そういう背景を理解しなければならないと思います。

しかし、実のことを言うと筆者にはその辺りがよく解らず、上述のように型通りの展開の歌詞と、妙にキャッチーなサビのコーラスがミスマッチしていて、ひどくちぐはぐ曲だな、という印象をうけました。特に「はるかに流れる血縁の流れ」の部分においては、むしろ血縁を肯定しているようなニュアンスを感じます。
おそらく中島みゆきの「血縁」、「永遠」に対する想いは複雑で、単純に否定もできないものなのではないでしょうか。その複雑さがこの曲を「解った」とは簡単に言えない、解釈の困難な曲にしていると思います。

2010年1月 3日 (日)

「ひまわり"SUNWARD"」

国境や体制などを意識させる暗くて重苦しい前半部の詞と、光が差すような力強いサビの歌声と、明暗のはっきりした絵画的な印象を受ける曲だと思います。

反戦とか反体制の歌のようにもとれますが、そういう事よりも困難な状況下でも挫けない心の在り方を主題に歌っているように思えます。どのような柵をどれだけ張りめぐらせたとしても、私の心の向かう先は決まっていて、それを妨げることはできない、と決意と確信を持って宣言する曲なのだと思います。
ただ、力み過ぎて前のめりになっている印象もあり、やや唐突に表れる「花」や「ひまわり」に呆然としている内に歌が終わり、歌い手に気持ちに少々ついていけなかったような感じもしました。
もしかすると、意図的にそうしているのかもしれません。リズムを崩したり、転調したりなど、楽曲的にも前衛的とまで言いませんが、実験的な雰囲気があり、敢えてそうすることで聴く者に強い印象を与えようとしているようにも思います。

いずれにせよ、気付く人だけが気付くさりげない名曲というような類ではなく、無視できない強いメッセージを放つ曲だと思いました。

2009年12月27日 (日)

「バラ色の未来」

サスペンスに溢れたハードな感じの曲調ですが、歌詞は非常に内省的とでもいうか、歌っている通りに自分に対して延々手紙を書き続けているような、果てしない不安と自問が輪になって続くような焦燥感と虚無感を感じます。サスペンスといってもハラハラドキドキではない、じわりと首を絞められるような恐さがある曲だと思いました。

「バラの色はどんな色だったというのか」という節がこの歌の軸になっていると思いますが、その前に「僕が憧れてたあの頃」とあるので、ここで言うバラ色とは「これだと言われた」バラ色、「思いこむようになって」いたバラ色のことだとわかります。
従って、バラ色がわからなくなったということは一般的にそうだと言われているバラ色の未来、お仕着せの幸せに疑問を抱くようになった、とも解釈できるわけで、この歌は単に不安を歌うだけではなくて、そういう定型の人生と別れを告げる転機、人間として成長する機会と過程での悩みと苦しみを描いているようにも思えます。

でも、答えが出たというわけでもなく、ずっと悩み続ける風でもあります。多分、幸せのかたち、というものが中島みゆきの歌の絶えざるテーマの一つなのではないのかと思います。

2009年12月20日 (日)

「もう桟橋に灯りは点らない」

ベタベタな展開にベタベタなラスト、力が入りすぎて微妙にポイントを外したかのような歌い方、どうも今ひとつ泣くに泣けないような中途半端さを感じた曲です。

或いは狙った中途半端さであるかも知れず、燃えなかったわけでも、燃え尽きたわけでもない、確かにあったはずだけど、消えたところで誰も気にしない、そういういわゆる普通の思い出を何となしに思い出す、という曲のようにも思います。
冒頭泣くに泣けない、と書きましたが、この歌はもう戻れない過去の事を思い出しつつも、不思議と悔恨の情というのは感じられず、桟橋は既に綺麗な思い出として心の中で定着しているように思えます。

「きれいなビルになるらしい」はむしろ望むところで、思い出が思い出として完成しそうである、そういう時期を描いた曲ではないかと思いました。

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