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2009年9月19日 (土)

「糸」

そういえば歌詞カードを読まずに、ここまで歌詞を聴き取れた曲は珍しいかもしれない、と、どうでもいいことに気づきながら、何となく凡庸という言葉がこの歌には似つかわしいような気がしています。

無論この曲がつまらない、という意味ではなくて、非の打ち所のないほどの完成された型にそういう印象を受けるわけで、静かに運命を感じさせる導入に、不安と迷いの中盤、サビの盛り上がりと余韻、これらが美しいメロディーと歌声で連結され、完結する様子は、聴くだけで満足感があるというか、定番ものを聴いたような一種の安心感があります。

また、人は無力で孤独な糸、とみなす歌詞は、自分を何ら特別な存在ではないもの、として観じきっているようにも思え、でもあなたとなら織りなす布となることなれる、という部分も何ら大それたことを考えているわけではなく、ささやかな希望として描かれているように思います。そういう意味でも非常に平凡な人生、もしくは生きるのぞみを描いた曲のように思います。

非常に広い視点で以って、無数の傷やささくれを織るようにして平凡化した曲である、と思いました。

2009年9月13日 (日)

「二隻の船」

これまでの歌はどれほど大きな愛を歌っていても、また、恋焦がれて未練を歌っていても、根本的に所詮は他人であり、分かり合えない一艘の船がそれぞれにあったに過ぎなかったように思うのですが、この歌では波に隔てられつつも、並んで進む二隻の船をありありと思い浮かべることができます。中島みゆきの中の何かが解禁されたかのような感があり、何だか感慨深いものがあります。

美しいメロディーで粛々と進む雰囲気ですが、美しいばかりではないとでもいうか、風に紛れて悲鳴が響く、そんな酷いシーンがサビの一つにあてられています。
「お前の悲鳴」というフレーズを聞いて、なぜか筆者は1stアルバムの1曲目「あぶな坂」を思い出してしまったのですが(あの曲に悲鳴と言う言葉は出てきませんが)、あの傷つく人達にむしろ嫌悪感を感じているような突き放した感覚から、随分と立ち位置が変わったものだなと思います。
この曲において「お前の悲鳴」は明らかに「わたしの悲鳴」でもあって、共鳴し合うという意味で、確かに二つで一つの存在になっているのだと思います。

そんな新しい境地を歌いながら、かつ、ドラマチックで美しいメロディーを持ち、中島みゆきの歌声を堪能することができます。画期的かつ感動的で、エモーションと信念を兼ね備えた、文句なしの名曲だと思いました。

2009年9月 6日 (日)

「妹じゃあるまいし」

タイトルからして「妹扱いしないでよ」的な展開を勝手に想像していたのですが、蓋を開けてみれば、「妹だったらあの人と別れないでいられるのに」という、むしろ妹を懇望するような内容に意表をつかれました。

無論、「妹扱い」を懇望しているわけではなくて、兄妹のような関係かと思っていたら、肝心なところで兄妹ではなかった、擬似関係に過ぎなかった、所詮他人だった、という二人の関係の希薄さを嘆いているわけで、それが「妹じゃあるまいし」という屈託となって、溜息をつくようにして吐き出されているのだと思います。
或いは、聴き様によっては、あの人と他人の溝を飛び越えて、肉親のレベルまで近づきたい、という一種凄絶な愛を歌っているような気もしますし、そんなのじゃなくて、ささやかな望みとして、せめて、という気持ちを歌っているようにも聞こえます。

ゆったりとしたテンポの中に、ぎこちなさ、字余りが詰め込まれて、それが何だかこの歌の屈託、憂鬱、未練、愛情などを表現しているような気がします。どこかおどけたような歌い片とは裏腹に、意外なくらい複雑な感情を詰め込んだ曲なのだと思いました。

2009年8月30日 (日)

「此処じゃない何処かへ」

「追われるように街を離れて 行くあても理由もなく 急かされる気がした」という曲はこれまでにもあった、というか、放浪、流転は中島みゆきの普遍のテーマの一つであるように思うのですが、そのことをそのままに歌った曲は実は珍しいでのはないかと思います。

独特の言い回しの中に、得体の知れない不安感、行き場のない情熱、揺れながら漂う自分の気持ち、そういった不安定さを抱えつつ、それでいて安定や安心を唾棄するかのような反発心が横溢しているようであり、中島みゆきのテーマと題したくなるような、不羈の気分が端的に表れています。
しかしながら、曲調としてはアップテンポで単純なリフレインが多く、前曲の重厚さと比べればいかにも軽く、印象が薄い感があります。やや極端に言うと、アルバムの中の箸休め程度の印象しか残らないおそれがあるような気がします。

もしかしてそれがこの曲の狙いで、風の中に転がるように、誰の目にも留まらない、さりげない小さな決意を歌っているのではないか、などとも思います。

2009年8月23日 (日)

「誕生」

冒頭は恋愛を語るかのように始まりますが、いつのまにやら生まれてきたことを賛美するような調子に変わり、「Remember」をくりかえす度に、何やら自分がひどく愛されている人間のように思えてきて、感動で涙が溢れる、というようなある意味、魔力的な力を持った歌だと思います。

自分が生まれてきたとき、誰もが歓迎してくれたはずだし、誰もが愛してくれたはず、と思いつつも、それをはっきりと記憶している人は稀だろうと思います。
この歌の「Remember」とは、事実を思い出すというより、理想としての誕生、歓声に迎えられ光溢れる世界へ生まれ出でた自分を想像せよ、という意味で、聴く者はそれぞれの誕生、おそらくは甘美で栄光に満ちた情景を喚起され、否応ないような感動に導かれるのだと思います。。
ただ、この歌の最大のヤマ場はそこではなく、最後の「わたし いつでもあなたに言う」の部分ではないかと思います。つまり、そうやって人生にうち最大とも思える感動を喚起しておきながら、わたしはそれに匹敵する愛を持っている、いつでもそれを発揮できる、とさりげなく告白してるわけで、悪く言えば感動のどさくさに紛れて、相手と一体化することで愛を成就させようとしてるのだと思います。

恋愛論と思いきや人生の感動を歌っている、ように見せかけて、やはり巨大な愛の告白の歌である、と筆者は思いました。

2009年8月16日 (日)

「萩野原」

言葉のひとつひとつを解釈しようとすると、何だか非常に意味深になりそうなこの曲は、しかし、全体としては広大な野原の中でぽっかりと一人だけ佇んでいるような、茫漠として掴みどころの無いイメージを与えられます。

「振り返ると いつのまにか後姿」、「荻の咲く野原は行ったことがないのに」などの、前後の文節とは辻褄が合いづらい情景が登場するあたり、まさしく夢の中とでも言うべき心象の世界が展開します。
歌や詩というものが、視覚では捉えがたいイメージの流れを、言葉を連続させることで聴く者に喚起させるもの、とするならば、この曲はまさしく歌である、と言えるように思います。

筆者はこの歌を聴いて、冒頭の述べたような、萩以外には何もない広い野原のイメージを受けました。この歌のこの場面の主人公の気持ちはこういうものである、ここの歌詞はこんな意味である、というようなことが分からなくても、聴く人なりのイメージというものを喚起されれば、この歌が聴こえた、と言ってもいいのではないでしょうか。

2009年8月 9日 (日)

「浅い眠り」

聞いたことあるメロディーに昔を思い出すような不思議な安心感と陶酔感を感じているうちにいつのまにか曲が終わっていました。中島みゆきを聴いていなかった筆者が懐メロっぽく感じてしまうくらい(事実懐メロとも言えるかもしれませんが)、一つ一つのメロディーがインパクトと馴染みやすさを兼ね備えた曲だと思います。なんだかメロディばかりに気をとられて、歌詞がよく覚えられない感さえあります。

歌詞に目を向けると、印象的なのはやはりタイトルにもなっている「浅い眠りにさすらいながら」の部分です。独特なフレーズだと思いますが、この場合の「に」は素直に読むなら「~の中で」の意味で、半覚醒状態で目覚めることもできず、あてどなくさ迷う様、、過去と現在が重なり、何もかもぼやけたような夢寐の状態で、それでも愛を求めてさすらう様を短い言葉に籠めつつ、音楽に乗せて見事に表現していると思います。

サビの部分で珍しくはっきりと使っているコーラスも印象的で、全体として、とてもインパクトのある曲だと思います。非常に歌らしい歌だと思いました。

2009年8月 2日 (日)

「やばい恋」

何がやばいって、何だかよくわからないがとにかくやばい、そういう焦燥感が伝わってくる、アップテンポで早口な曲です。

中島みゆきがしばしば使う「やばい」という言葉は、微妙に古臭いワルな感じとでもいうか、危険で反道徳的で、それでいてなんだか惹きつけられるような魅力がある、というある種良い意味で使われていると思います。
しかし、この曲での「やばい」はその意味も勿論あるでしょうが、それ以上に、やばい、やばい、と思いながらも止まらないあの感覚、このままでは終わる、やばい、とわかっていながらもどうしようもなく、覚悟も出来ないで焦燥感ばかり募る、そんな「やばい」であるような気がします。

極端に言えば「やばい恋」とは「ダメな恋」であり、この駄目さ加減が、本来はもっとハードでカッコよいはずだったこの曲を、強烈に人間臭いものへと変貌させていると思います。
それでこそ中島みゆきである、と最近は思うようになってきました。

2009年7月26日 (日)

「East Asia」

世界や国家、国境というものを歌っているように聞こえて、本当はとても個人的な内面の部分を歌った曲だと思います。

おそらくこの歌での「くに」とは格式ばった国家の枠組みというようなものではなく、一人一人の心の内にある文化や風俗、またはもっと原始的な韻律のことで、そういうものを心に持っている限りは、多少は外面を変化させることがあっても、自分として生きていける、とそう言っているような気がします。
そういう生き方はまさしく柳絮で、ややいい加減な書き方をすると、規範や契約など硬質なもの中心に据える西洋に対して、とても東洋的な思想であり、East Asiaとしか表現しようのない心の在り方だと思います。

この曲を聴いた時に世界を旅するような壮大なスケールを感じつつも、何となく懐かしいような安心感を感じるのは、どこまで流されても、離れても、心の内にいつでも自分の「くに」がある、と、この歌が言っているように感じられるからではないかと思います。

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