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2013年10月21日 (月)

今後について

足かけ8年続いたこのブログですが、今回で一応完結と言うか中島みゆきが現在リリースしているオリジナルアルバムについては全曲の感想を書き終えました。

今後のことですが、正直に言うと何も考えておらず、「夜会」を聴くとか、アルバム未収録曲もやってみるとか、色々アイディアはあると思うのですが、当分はお休みということにしようかな、と思っております。遅くとも次のアルバムがリリースされたら再開すると思います。おそらく。
中島みゆきは大体1年に1枚アルバムをリリースしているので(40年近くそれを続けているのは驚異的だと思いますが)、今まで週一更新だったこのブログが今度は月一ペースに変わるだけ、なのかもしれません。

盗賊さんをはじめ、温かな或いはユニークなコメントをしてくれていった皆様に感謝しています。淡々と続けていたこのブログですが、コメントはとても嬉しく励みになるものでした。そんなわけで、ブログが休止中でもコメントは大歓迎です!と、宣伝して一旦終りたいと思います。

2013年10月20日 (日)

「月はそこにいる」

「私ごときで月は変わらない」という不思議というか埒もないように思える詠嘆が、諦めの境地を表しているのか、単に諦めというより何か荘厳な決意が秘められているのか、とにかく只事ではない雰囲気を醸しだしている曲だと思います。

月が輝く夜の時間に対比して灼熱の砂漠または高い岩山の上という情景が描かれますが、どちらも自分に対して過剰であるような場として歌われていると思います。そういう場違いさ、降りるに降りられない立ち位置に疲れはてたときにふと見上げた月の輝きに対して、「私ごときで月は変わらない どこにいようと 月はそこにいる」という感慨は、自分の卑小さ、敗北感、というようなものも多少は含むかもしれませんが、それ以上に私は何をしてもいい、私がどうなろうとも月は変わらずそこにあるだろうという、一種の安心感というか悠然と輝く月に闇の中の希望を見出しているのだと思います。

もしくは整理された気持ちを歌うのはでなくて、凛然と輝く月の眩しさにただ圧倒された、何かこみ上げてくる気持ちがあった、という感慨を歌う曲なのかもしれません。
「常夜灯」とは或いは月のことなのか、昼の全てを照らす明るさではなく、夜に浮かぶ道標のような限られた自分だけの光を歌っているような気がしました。

2013年10月13日 (日)

「風の笛」

つらいことをつらいと言えず、言いたいことを言えば大切なものが傷つく、そんな状況のとき、中島みゆきの歌では暴発しちゃえよとはそそのかさず、歌や海などに思いを託して、誰に気付かれることもなく風に消えていくことが多いような気がします。

この歌の「風の笛」とはどんなものかはっきり示されているわけではありませんが、曲中に流れる風のような笛の音のような効果音から察するに、穏やかなものではなく、やや甲高く、何かを引き裂くような、多少の悲壮感と寂しさ、叫びに似た感情の高まりを表現するもののように思います。
風の笛を吹いたから何だ、問題が解決するのか、と言われれば何も現状が変わるわけではないでしょうが、言葉に出さないと決めた人間の慰めとして、或いは言葉にできない感情を託す、論理ではない音楽として風の笛はあるような気がします。

「お前に渡そう風の笛」という詞は、思いを言葉にして出すことは出来なくても、せめて気持ちだけは伝えてもいい、誰もがそうしていい、と中島みゆきが言っているような、そんな気がします。

2013年10月 6日 (日)

「ランナーズ・ハイ」

「ランナーズ・ハイに違いないわ」が、妙に上ずったような声に聴こえ、限界いっぱいいっぱいなのに何故か走ってしまう、疲労と恍惚が混ざり合った奇妙な高揚感を醸しだしていると思います。

「愛か歌か」というような歌をあきらめなければまっとうに暮らしていけない、社会の除け者にされるような状況が描かれています。「なぜ両方じゃダメなの」と苦悩しつつ、苦悩しつつも「歌ったら停まらない」というのが結論で、二者択一の状況になったら迷わず歌を取る、取らざるを得ない、そんなミュージシャンの性が描かれていると思います。
「心は常に折れてる 副木をあてて生きてゆく」と情けないような壮絶なような決意があり、そういう意味では「なぜ両方じゃダメなの」は歌をとることが明確であるからこその苦しみであって、悩みはあっても迷いはない、一種の覚悟を歌った曲だと思います。

何となくミュージシャンは太く短い人生を送っているようなイメージがありますが、この歌の主人公は長距離ランナーさながらに歌を歌い続けているようで、倒れるまで停まらない停まれない「ランナーズ・ハイに違いないわ」というのは言いえて妙だと思いました。

2013年10月 1日 (火)

「オリエンタル・ヴォイス」

正直に言うと良くわからないのですが、良くわかってしまったらこの曲は台無しになるような気もして、とにかくミステリアスでいて、一種の哀愁を漂わせた不思議な雰囲気の曲だと思います。

「あなた」は私のことを全然わかってなくて、会えない人の面影を重ねて「私」を見る、「私」はそれを非難しつつも恋はたぎるばかりで、いっそ知らない私になってしまいたい、そもそも私って何だろう、私は何処にいるのだろう、と苦悶する。要約的にまとめてしまえばそんなストーリーなのかもしれません。
そして、オリエンタル・ヴォイス とは何なのか、やはり筆者には良くわからないのですが、この曲に漂う悲恋の匂い、そしてこの道に迷ったような混沌として謎めいた雰囲気がオリエンタルなのではないか、と想像します。

或いは恋にたぎっているのは「あなた」だけで、「私」はひたすらそれをはぐらかす、そんなミステリアスで神秘的な魅力を持った女性を描いた曲かもしれず、そんなどうとでも解釈できるこの歌自体が霧の中のオリエンタル・ヴォイスなのかもしれません。

また更新が遅くなってすみません。うっかりしただけで特に何かあったわけではありません。

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