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2008年4月20日 (日)

「あした、バーボンハウスで」

「あした」は不安定で不確定なもので、だからこそ根拠なく夢や希望を託すこともできるわけで、「あした」は大空を飛ぶ鳥の如く、自由で輝きに満ちた存在として歌われることも多いように思います。

 しかし、この曲の重苦しさと閉塞感はそういう軽やかな「あした」を否定するようで、むしろ重い現実の鎖をつけて、どこにも逃げられないように「あした」を拘束しているかのように響きます。無論それは「あした」への期待の裏返しでもあるわけですが、それと同量以上の猜疑心と恐怖心が容易に「あした」を信じさせません。この曲はそういう心の中の揺らぎの一極を捉えているように思います。

実際には「あした」を決めつけたところで拘束できるわけでもなく、その意味でこの曲はやはり未来のことではなくて、希望と絶望に揺れる今日のことを歌っているように感じます。
そんな人たちが集まり、希望と絶望が渦巻くの混沌の場がバーボンハウスであって、閉塞感と期待感の象徴として極楽通りのどこかで鎮まっているように思います。

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