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2006年11月 5日 (日)

「世情」

全くの個人的イメージで恐縮ですが、シュプレヒコールって壇上の指揮者だけが血相を変えて叫ぶ傍ら、周りは申し訳程度にへろへろと拳を上げて合わせる、という貧困なものであると認識しています。若し全員が絶叫していたとしてもそれは本心からのものなのかとかなり疑問に思っています。

会社の研修所で営業系の研修室からたまに絶叫のような掛け声が聞こえてくることがあります。その度にこの人達は妻子を食わせるために心からでもない叫びを叫ばされているんだなあと思い(これも勝手なイメージですが)、切ないような虚しいような不快な気分になります。要するに筆者は自発的に盛り上がったシュプレヒコールというものを見たことが無く、常に上から「これを唱えろ」と命令されて行うものだと思っています。

このイメージと「世情」は必ずしも合ってはいません。さらに、この詞を解釈するためにはこの曲が作られた頃の世情を理解していないと困難なように思います(正直に言って筆者はこの詞において、誰が誰と戦おうとしているのかよくわかりません)。

ただ、少なくともこの曲はシュプレヒコールを好意的には見ていません。かと言って世の中を肯定しているわけもなく、どちらにも乗り切れない居心地の悪さを感じました。

世の流れには乗れない、かといってそれを妨げる勢力にも違和感を感じる。斉唱という形をとりながら、むしろ混ざりきらない中島みゆきの声が世情との違和感を表しているように感じました。

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コメント

 私がカラオケに行くと、場の空気を読まず(本当は読んでいるのだが、読んだところで流行歌は知らないし、周りが醒めるのをそれほど気にしない、むしろ快感でですらあることもある)中島みゆきを熱唱することは覇龍社会さんもご存知のところであるが、さすがにこの「世情」を歌ったときはあまりに引いてしまったので、以降カラオケでこの歌を歌うのは封印している。
 斉唱とのミスマッチは、さすがに深いところを突いてくる。「合唱と私の声は合わない」と再三にわたって述べている中島みゆきがこのミスマッチに気付かないまま演出として取り入れたとは考えにくく、まさに覇龍社会さんが指摘したものを意識してこういう形にしたのではないだろうか。

 ところで、「世情」はドラマ「金八先生」で使われたことで有名である。
「金八先生」といえば、杉田かおるが妊娠するシリーズ1作目しか見ていない私は、「世情」が流れたシリーズを見ていないのであるが、自殺して今は亡き沖田浩之が出ていたシリーズで、生徒役の沖田が放送室にバリケードを築いて立て籠もり、そこに警察が突入して学校中が大混乱が起きるシーンで「世情」が流れるのである。
 スローモーションで大混乱を映しながら「世情」を流す演出は大きな感動を呼んだらしい。

 ちなみに、関西ローカルのバラエティ「探偵ナイトスクープ」では、時々この演出のパロディとして、画像をスローモーションにしながら「世情」を流す演出で笑いを誘っている。この番組は中島みゆきが好きなプロデューサーでもいるのか、「プロジェクトX」の演出も時々パロディにしている。

 戦うのは「誰と誰が」ではなく、「誰と誰と誰が」の三つ巴だと思うのだが、これはトラックバックで気が向いたら論じたいと思う。

こんにちは。
「この詞を解釈するためにはこの曲が作られた頃の世情を理解していないと困難なように思います」
とのことですが、その通りかもしれませんネ。

みゆきさんが学生の頃は、学生運動が盛んなご時世。

「シュプレヒコールの波 通り過ぎていく 変わらない夢を流れに求めて」
集会に集まった学生や市民たちがスローガンなどを繰り返しながら、今の状況を流れにまかせて変革しようとしている…。

「時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと 戦うため」
変革せずに今の状況のままでいようとする保守的な者たちと 戦うため…。

…そのような意味なのかな…と思ったりもするのですが…。

世界に視野を広げてみると、このような状況はいろいろなところで見受けられるような気がします。
ソ連崩壊、天安門事件…。

「世情」のような出来事が、世界のどこかで今日も起こっているかもしれません。

 GHQ体制によってアメリカの軍国資本主義の軍門に下った衛星国として染められていった日本が、日本の心を失っていく姿を見せ付けられて、それに抗う精神を抱いた若者たちは資本主義の対極としての共産主義に理想を求め、安保闘争が繰り広げられた。
 しかし、彼らの目指した反体制の理想は、あくまでも理想に過ぎず、現実を変えることはできなかった。学生運動の敗残者たちがエリート街道の外に追いやられ、戦後体制への反発を抱きながら、社会の中に散って行った後に更にその敗北感に駄目を押したのは、共産主義の失敗とその現実が明らかになっていったことだった。
 そこには彼らの目指した夢は微塵も存在していなかった。そうして、彼ら自身は自分を誤魔化して生きることでしか、社会と共存できる術が見つけられなかった。そんな彼らに対する痛烈な批判がこの歌に込められていたことは、吉田拓郎のために作った『永遠の嘘をついてくれ』という曲の歌詞の中で明らかとなった。
 学生運動の寵児として時代の波に乗った吉田拓郎でさえ、そんな彼らと同様に「誰かのせいにして」現実から逃げて行った。そして若き彼女にとっての大スターであった吉田拓郎でさえも、時代の波に飲み込まれてしまったことに傷ついた彼女は、自分を奮いたたせ、今現役を退こうとしている吉田拓郎に、痛烈な叱咤と今も私たちは一緒に戦っているんだという激励の詩を書いた。
 『世情』1978年、『永遠の嘘をついてくれ』1996年、そこには夢を追いかけた若者たちへの変わらぬ思いがあった。負けたからと言って、自分を誤魔化すんじゃない。理想を追いかけた想い、それこそが真実だったんだ。何が正しいかなんて誰にも判らなかったのだから。
 人間誰しも、間違えることがあるし、負けることもある。けれど大事なことは、自分がそれとどう向き合うかなんだ、と。
 体制に背を向けて、政府批判、日本批判に身を落とし、今なお自分を誤魔化して生きている人たちには届かないこの思い、今でも彼女は戦い続けている。あなたたちの追いかけた夢は何だったのか、と。

 時を戻し1997年、中島みゆきからのメッセージを心に噛みしめた吉田拓郎は再び歌の世界で戦いを続けるべく、復活を遂げた。

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