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2009年5月 3日 (日)

「with」

綺麗なメロディーに身を委ねるようにして聴けば、なんだか本当に旅立っていくような、悲しいような感動的なような気分になれる、そんな不思議な力がある曲だと思います。

「けれど」という言葉が効いているのか、特に希望に満ちたサビというわけではないのに、全ては過去のことで、これからは別の世界が開けているような気になります。
特に「君の名を綴っていいか」というフレーズは疑問形ではありますが、かなり前向きな決意を述べた言葉で、らしからぬ(?)爽やかささえ感じました。
こんな言葉がサビに来ること自体が何だか珍しいようで、これまでとは一味違った開放的でストレートな世界観が示されているように思います。

それだけに聴く者の耳に素直に入りやすく、これまで以上に心に真っ直ぐ訴えかける、そんな新鮮な感動がある曲だと思いました。

2009年4月26日 (日)

「北の国の習い」

楽曲的には東北風(北海道風?)レゲエ、といった感じの曲ですが、こういう変に陽気な曲は大抵きつい歌詞がついているんだよな、と思いつつ聴くと予想の上を行くオホーツクのブリザードもかくや、という程の冷たくて、殴りつけるような言葉が吹き荒れています。

「北の国の女にゃ気をつけな」って何をどう気をつけたら良いのやら、筆者が思うにこのフレーズは忠告や警告ではなく宣告であって、何がどうあろうと私は歩き出すという決断を示す言葉であり、また、これから長い冬だから覚悟しておけ、という自他への自覚を促す言葉のような気がします。
これらを「北の国の習い」と呼ぶにはドグマがきつ過ぎるような気がしますが、実際のところ北の国にそんな習わしがあるはずもなく、そういう有り得ない習わしを言い募ることでせめてもの納得を得ようとしているのか、もしくは逆説的に私自身の決断であることを強めているように思います。

音楽的には丸みを帯びつつも、雪玉に石礫が入っているような、かなり痛みを感じさせる曲だと思いました。

2009年4月18日 (土)

「ふたりは」

この曲にやすやすと入り込んで、「感動しました」と言える人はそうはいないだろう、と思えるくらい、ある種の演劇臭さと露骨過ぎる舞台装置を備える曲です。かといって、三文芝居と切って捨てるにはプレイヤーに迫真の技量があり、背景だとか筋だとかは全部添え物に過ぎないと言わんばかりの強引な愛が光芒を放っているようで、異様な迫力というか引力があるような気がします。

筆者はどちらかと言えば街の住人の観点に近く、忌まれているふたりが消えるならばそれで済々とするし、燃え上がった愛にまかせて街を去っても上手くいきっこないじゃないか、とふたりの前途を見下したいような気持ちになります。が、多分この曲における愛は世間並みな、生活の安定とか幸福を望むものではなくて、もっと直感的で狂おしい、むしろ前途や希望などかなぐり捨てて、一緒に地獄に落ちていくような激しい性質のものなのだと思います。

筆者にとってはこの曲はふたりの気持ちになるというより、ふたりを見送るような他人の気持ちになりました。それでも微妙に羨ましいような、何か始まるかのような期待の気持ちも感じました。聴く人によっては非常に惹かれる曲ではないかと思います。

2009年4月12日 (日)

「遠雷」

これまでも中島みゆきはくどいだの、しつこいだの、散々に言ってきましたが、今回は同じ粘着質でもいつもより水分多めで、ねっとり(毎度擬態語に頼って恐縮ですが)した感じがすると思います。

今までのしつこさが愛情が化学変化したものを、時間をかけて蒸留して完成した「恨み」という精製された粘着物質だとすると、今回は生の樹木を裂いて流れ出る樹液そのものを見せられているような気がします。
そこには愛情も恨みも、その他の不純物も含まれていて、樹皮を剥がして露出した部分からそれらが赤く零れているようで、色気があるとも凄絶とも何とも言えない迫力があります。遠雷とは血を見たときに気が遠くなるような、そういう眩暈がするような気持ちを表しているかもしれない、と思いました。

良くも悪くも非常にムーディーで、歌と歌詞と楽曲がマッチしているという意味では完成度が高いとも思いますが、これまでの中島みゆきと志向が違うようで、やや戸惑いを感じた曲でした。

2009年4月 5日 (日)

「君の昔を」

憂愁を含んだ渋めの、男性的とさえ呼べそうな声で「嫉妬している」なんてあられもない言葉を囁かれ、そのギャップにメロメロです。というのは嘘で、やっぱりおっかねー、と感じます。

過去ばかり振り返る人間は見ていて虚しいものがあって、ましてそんな男に惚れたのならば、虚しさがわが身に跳ね返って突き刺さるような痛みがあると思います。
そんな痛みを「嫉妬している」と断じて表現するあたり、まるで傷口の部分をえぐりとって見せているような、ある意味で自虐的でありながらも、激しくて、誤魔化すことを許さない、強い感情がこの歌の底には流れていると思います。

「今日という日だって 悪くはないよ」はそういう感情の中、ふり絞る声であって、通りいっぺんの説教だったり、励ましではないと思います。
例え返答は無いものだとしても、自らの心を通って、相手の心を揺さぶる、覚悟を持った呼びかけの言葉なのだと思います。

2009年3月29日 (日)

「新曾根崎心中」

なんだかグログロしているな、というのが率直な感想です。
粘着質でありながら破滅的で、愛欲的かつ虚無的で、遊びなんだか本気なんだかわからない、そんなカオスな感情を歌った曲はこれまでも幾つかあると思いますが、何度か書いてきたように歌の力強さが増しているせいか、リフレインする度に感情の熱と圧力が高まり、坩堝から噴き出してきそうで、怖くて近寄りたくない危険さが漂っています。

と、わかった風にまとめてみましたが、書くことにはあまり意味はない曲のような気がします。聴いて、ただひたすら歌の熱気、曲の圧力に当てられればいいのだと思います。

2009年3月22日 (日)

「あした」

なんだか歌心が充実しているとでもいうか、以前だったらもっと冷たく突き放したように歌ったであろうフレーズにも気持ちが篭っていて、曲に親しめるような気がします。

筆者でもこの歌は聞いたことがあるわけで(と言ってタイトルを見た時点はわからなくて、出だしを聴いたときに思い出した程度なのですが)歌詞カードを読んでみれば結構過激な愛を歌っているにも関わらず、そういう矯激さよりも単純にメロディーの良さだとか、ボーカルの感情豊かな表現だとか、そういう歌としての良さが印象に残っていて、改めて聴いてみてもやはりその印象があります。

感情の純度、生々しさ、という点ではこれまでの凄絶な曲の数々と比べれば一歩譲るかと思います。しかし、そういう純然として鋭利すぎる曲よりも少し丸みを帯びた歌声と言葉を持つこの曲ではむしろ人間らしさは増しているように思います。こっちの方が馴染める、という人も多いのではないでしょうか。

多くの人が共感できる、楽しめる、という意味で中島みゆきのポップスシンガーとしてのの実力の確かさがわかる曲だと思いました。

2009年3月15日 (日)

「3分後に捨ててもいい」

安定感のあるテンポとメロディー、少し厚くなったようなボーカル、サウンドのせいか、刹那的なタイトルの割にむしろ不思議な安心感を感じます。

過去と未来を口ずさみつつも、そんなことどうでもよくて、まさに今もたれかかっているという感じで、「3分後に捨ててもいいから」の台詞も自虐ではなくて睦言のような雰囲気を持っていると思います。
戻らない人の心も、紙切れみたいな人生も、それらが明滅して流れてゆくのがむしろ心地良いくらいの心境になっているのではないか、という気がします。

そうこうしている内にいつのまにやら曲は終わります。ずいぶん短い曲のように感じましたが、プレーヤーの表示を見ると4分40秒と特に短いわけではなく、まさに流れていくように過ぎるリズムを持った曲だと思います。
また、そういう数分間を描いた曲なのだと思います。

2009年3月 8日 (日)

「ふたつの炎」

「ふたつの炎」というタイトルは孤独感を際立たせるための強烈な皮肉であるように思います。独り虚しく揺らめく炎が完全な暗闇よりも却って寂しさを増幅します。

男女のすれ違い、恋愛に対する相違などを歌っているような気もしますが、それらを一つの局面、過程としては捉えず、片やもう燃え尽きてしまった炎、片や燃え続ける炎としてそこに絶壁があるかのような隔絶した存在同士として断定してしまっているような気がします。
中島みゆきといえば未練の歌のイメージがありますが、感情としての未練を歌いつつも、状況としては断絶を描いていることが多いような気がします。むしろ断絶を自覚したときに未練の心が燃え上がる、ということかも知れませんが、或いは中島みゆきは男女の相違を決して解り合えない、埋められない溝である、と冷徹に見据えた上で、敢えてその土台に感情で以って建築しようとするような、そんな断崖に建つ家みたいな曲が多いのかと思います。

中島みゆきの聴いている方がハラハラするような脆さや危なっかしさは案外そういうところから来ているのかもしれません。

2009年3月 1日 (日)

「夜を往け」

以前より少しエコーが利いた力強い歌声と突きぬけた感があるサビ、このブログを始める前は非常に有名な曲を除いてほとんど中島みゆきを聴いたことがなかった、当時の筆者が抱いていた「中島みゆきの歌」のイメージに近い曲のような気がします。

これまでもひどい状況の中をとにかく進もう、という曲はあったと思いますが、この曲は敢為の精神がより強いというか、状況は相変わらず夜だけど迷わずに前を見て往こう、という気持ちが更にはっきりとしていると思います。
無論、行きたくないけど往かざるを得ないから往く、無理やりに往かされる、という感じも含みつつ、そんな自分を叱咤するような、ウォークライの如く自らを奮い立たせて戦いに赴くような歌なのだと思います。

中島みゆきの歌はいつもこうではなく、戸惑いまくって途方にくれているような弱々しい曲だってあるとは思いますが、この力強さが中島みゆきの主要なイメージの一つになっているように思います。

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