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2009年2月22日 (日)

「春なのに」

何故ここに来て学生時代に戻る?という疑問はさて置き、シンプルかつストレート過ぎるほどの嘆きと悲しみがなんだか原点回帰したような、新鮮な気分にさせてくれます。

自分の言葉に引きずられるようですが、中島みゆきの原点が「別れ」だとすると、別れとは終着ではなくてむしろ始まりであると言えるわけで、そんな気分でこのアルバムを見直してみると、別れを結論ではなく始まり、前提として、その苦しみと悲しみを噛み締めるような曲が多いような気がします。

「春なのに」はそれを最も素直に前面に出しているようで、別れの悲しみを主眼を置きつつも、決して何もかも終わったような閉塞感はなく、青い空の向こうにまだ何かが続いていくような、いいことばかりではないだろうけど先がまだまだあるんだ、という気分にさせてくれると思います。
「回帰熱」のタイトルの真意はわかりませんが、そのラストに相応しい曲だと筆者は思いました。

2009年2月15日 (日)

「未完成」

これはこれで完成しているのではないか、と思える程の見事なまでのループ、誰もつけいるスキがないような永遠で完璧な円環がそこに現出しているようで、聴いている側としても声のかけようも無いような気分になります。
サビではループを引き裂くように音程が不意に高くなりますが、その瞬間的な感情の高まりすら繰り返しの一部であって、何度も何度も慟哭を味わい続けます。それが、奇妙に美しいと感じられる不思議な曲だと思います。

この繰り返しは勿論「私」の内面に在るものであって、「私」が陥っている自己への疑問の繰り返しを表していると思います。その疑問への自己解答が「未完成」なため、いつまでたっても同じ疑問と同じ解答を繰り返すのだと思います。
この歌の美しさも、内面の吐露が人の心を打つのと同時に、内面ゆえの完璧なループが成立しているため、「私」の心の内に入りこんだように「私」と同じく何度も慟哭を繰り返す気持ちになるからかもしれません。

果てしないようなループも、心なしか繰り返すごとに少し小さくなっているようにも感じます。自分の心をなぞりながら少しづつ完成に近づく、そういう過程を歌った曲であるとも思います。

2009年2月 8日 (日)

「儀式」

重たい雰囲気の楽曲の中で響き渡る「セレモニー」という歌声がなにやら意味深ですが、それが一体なんのためのどんなセレモニーなのかは明らかにされないまま、なにやら一つのドラマが完結したような気分にさせる不思議な曲だと思います。

話が飛びますが、「私が死んだら葬式は不要だ」と思っている人は割といるかと思いますが、実際のところは「故人の意思により葬式(またはそれに準ずる儀式)は執り行いませんした」という例は極めてまれかと思います。
というのは葬式をやらないと世間的なおさまりがつかないという事情があるからで、やや極端に言うと葬式と言う形式を以って世の中へ告知しなければ亡くなったとはなかなか認知されないのです。
逆に言えばそれが儀式や式典が持つ力であって、それを執り行うと何か一区切りがついたような気になれる、現実的、物質的には何も変わってなかったとしても皆がそういう気分になれる、そういう心理的な作用のためにセレモニーはあるのだと思います。

そんなわけで、「セレモニ~」と叫んで指輪を海へ投げ捨てれば、きっと何かとさよならした気分になれるのだと思います。無駄な、形式に過ぎないことでも、その虚しさをわかっていても区切りをつけて前に進もうとする苦しくて力強い曲だと思います。

2009年2月 1日 (日)

「くらやみ乙女」

なんだか恋愛というよりは修羅道を突き進んでいるような、血だるま乙女の仁義なき戦い、といった雰囲気が聴くものをポカンとさせる、壮絶ながらも一人よがりで思い込みが激しいの曲だと思います。

ただし、この道を迷いなく進むというわけではなく、むしろ内心では九割方は疑っているのに、残りの一割を無理にでも信じてるような、自らを追い込むように、突き転ばすようにして引き返せない道を駆けていくような感じがします。
信じるとは疑わないことではなく強烈に思い込むことで、心の中の一縷の希望に賭けてしまう感情である、ということをまざまざと見せつける曲だと思います。

「Believe in you」とは「あなた」のことではなく、己の心にある何か自分を突き動かす衝動、理性で考えれば引き返すべき道を進ませてしまう非常に強い感情のことだと思います。誰になんと言われてもどうにもならない、引き返せない、そういう気持ちを歌った曲だと思いました。

2009年1月25日 (日)

「ロンリー カナリア」

気怠い夜の雰囲気の楽曲と中島みゆきの歌声が素晴らしくマッチしています。酒を傍らにBGMとしてぼんやり聞いていたいような曲で、歌の意味など解釈するのは無意味で無粋な気さえしますが、筆者の文章では曲の雰囲気は伝えられないので、以下些細な解釈を試みます。

これまでも未練を歌う曲は多かったものの、気持ちはともかく状況としては終わった恋であることを内心では認めていたように思いますが、この歌では相手が少なくとも物理的には近くにいて、その袖を必死でとらえているような、より生々しくて苦しげな情景が描かれているように思います。
帰らないで、と縋る「私」を「あなた」が足蹴にする、というわけではないですが、「あなたの目がさみしく曇る」というのはやんわりとした拒絶の証で、聴く側としても、ああ今まさに振られたんだな、とわかる悲痛な瞬間のように思います。

全体としては陶然としたような雰囲気の曲ですが、口当たりが良いようで実はその味は苦い、歌詞にあるように苦い蜜のような曲だと思いました。

2009年1月18日 (日)

「群衆」

「群衆」という言葉自体に高みから見下ろすイメージがある。のは、やはり筆者だけかもしれませんが、この歌での群衆もくろぐろとした人の群れがどこまでも続いているような、一人々々がせいぜいモザイクとなって敷き詰められて、まとめられて、ようやく何事かの模様を成しているような、そんな突き放した距離感を持った言葉のように思います。

しかし、この歌はそんな群衆の中に自分が紛れ込んでおり、群衆をみつめる自分が群衆の中の自分を哀れんでいるような、高い位置と低い位置の視点が交錯し倒錯し、悲痛とも滑稽ともつかない、自分が何者でも無いような、そんな奇妙な虚しさが湧いてきます。

「せめて君だけは 私をみつけて」という言葉は、とってつけたような愛の言葉のようにも聞こえますが、「君」が「私」である、または「私」が「君」であると解釈すれば、時代の中の群衆ではない、たった一人を励ましているようにも思えます。
ひたすら群衆に埋もれる歌ではなく、群衆の中の自分を見つめる、自分に問いかける歌のように思いました。

2009年1月11日 (日)

「あり、か」

追い詰められたチンピラが度を失って「てめえ!」とがなっている。自分が置かれている状況も何が悪かったのかのも理解できず、ただ「こんなことって あり、か」とひたすら世を呪っている。
そんな感じで始まるので、情けない男の悲哀が主題かと思いきや、劇的に場面が転換して謎の女が罠よ夢よと現れ、突然スパイドラマのワンシーンかのような謎に満ちた夜の光景と変わり、さらに最後は実は女が主人公だったかのように「あたい」が謎のように愛を囁きながら終わります。

非常にストーリーを感じさせる曲ですが詳細が説明されるわけではないので、一体何が起きたのか、「こんなこと」ってどんなことだ、と想像は膨らみつつも謎は残されたまま、一種の期待感を抱かせ続けます。
楽曲も非常に歌謡ロックとでもいうか、もうとにかくベタベタな程にムーディーで場を盛り上げようしており、この「一夜のドラマ感」はこれまでの中島みゆきではあまりなかったようで新鮮です。

筆者が抱いたイメージとしてはまさしくTVドラマの挿入歌に相応しい、というか本当に挿入歌になったら相応し過ぎてお腹いっぱいになりそうなくらいですが、人間や人生の悲しみよりも、男女のドラマ感やサスペンス感に重きを置いた中島みゆきの新境地、と言ったら言い過ぎなんでしょうか。

2009年1月 4日 (日)

「肩幅の未来」

曲解はできそうにない程、素直に正直に未練を歌っている曲だと思います。
断ち切れない想いを「らちもない」と溜め息のように吐き出し、さらに込み上げる想いを綴ってはまた吐き出し、というループ感があってやるせない気持ちになれます。

「肩幅の未来」と言いながらも、実質的には過去又は現在であって、今となっては決して辿り着けない未来をひたすら夢見るという非常に物悲しい状態であるように思います。
さらにそのことを「らちもない」と嘆きながらも止め処なく繰り返してしまう(と、言うより止め処なく繰り返してしまうことを「らちもない」と呼ぶのかもしれませんが)、止めることのできない感情のループに永久に流されていくような、そんな悲しさと残酷さを感じます。

実際にこんな状況になったら、どこかで未練を断ち切ったり、少しづつでも気持ちを変化させて繰り返しから脱却しなければなりませんが、この歌の中ではそういう糸口だとか、変化の兆しなどは筆者には特に見つけられませんでした。それでいいと思います。
無理に前向きになるのではなく、何処までも何処までも流れていく、そういう気持ちに浸る曲なのだと思います。

2008年12月28日 (日)

「黄砂に吹かれて」

ラブソングとは基本的に片想いである、と思い込んでいるのは筆者だけかもしれませんが、中島みゆきの曲はその基本に忠実であるかのようで、少なくとも電車の中でいちゃついているような歌はこの先も絶対に出てこないだろうと、安心?して聴くことができます。

「黄砂に吹かれて」ですが、両想いだとか幸福であるとは到底思えない曲ですが、片想いという単色で塗りつぶされているわけでもなく、相当複雑な色合いを持っているように思えます。それこそ黄砂の中の蜃気楼のごとく、自他ともに朧げな影になってさ迷っているようで、何を求めているのか、何処へ行こうとしているかよく解らない、と思いました。

きっと聴く人によって解釈がかなり異なる曲だと思います。多分、「あなた」とは幸せになれない、という前提を下地に砂を以って描いたような、そういう微妙な反射と儚さを持った曲なのだと思いました。

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