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2008年4月 6日 (日)

「かもめはかもめ」

オルガンとかもめは何の関係もないはずですが、この曲を聴いていると荘厳な雰囲気のオルガンと悲しみを湛えた歌声がマッチして、なにやらオルガンの音色に導かれたかもめが悲しみの大空の中を飛んでいるような、そういった運命めいた美しさを感じます。

あなたに好かれない、あなたの好む女になれない、というのはこれまでも繰り返されてきた主題ですが、そのことに対し「わたしはわたし」と言えば、自分を変えないという意志や一種の誇りを感じさせますが、「かもめはかもめ」と言ってしまえば、そういった矜持すらも消えうせて、まるでそれが種としての運命かの如くひたすらな悲しみに浸ることができます。
さらに「ましてや 女には なれない」というロジックの展開は、もはやかもめが孔雀や鳩のような「女のタイプ」の例えではなくて、完全に別の生き物であるというところまで思い詰めていることが読み取れます。

これは明らかに自分の世界への逃避であって相当に閉鎖的な態度であると筆者は思います。しかし、それだけに綺麗に世界が完結しており、それが前述のような運命的な美しさを感じさせるのではないかと思います。

2008年3月30日 (日)

「美貌の都」

言葉の意味はよくわからないがとにかく凄い迫力だ、と呻きたくなるほどに迫るような低い声が印象的な曲ですが、言葉の意味がよくわからない以上、感想文を書くのは非常に辛い曲であります。

美貌の都とは、筆者の凡々たる発想では上っ面ばかりの虚しい世間を指しているように思いますが、そう思って聴いてみても何故こうも凄みがきいているのか、この人が何に憤っているのかよく解らず、何か肝心なものを聞き逃しているようです。

あるいは何か筆者の知識不足なのかもしれませんが、話のかんどころがわからないまま叱られているような、悲しいような虚しいような、それでいて得体の知れない威圧感を味あわせくれる曲でした。

2008年3月23日 (日)

「煙草」

「何のために煙草を吸うのか」と、喫煙者に面と向かって聞いたことはありませんが、聞くまでもなく趣味や嗜好に明確な目的は不要なもので、何かのため、誰かのためでなければならないものではありません。

この曲も一見あの人のために煙草を吸っているように見せかけて、実のところ煙草など吸っていよう吸っていまいがあの人と私は無縁で、悲しいほどに無関係である様子が窺えます。
それなのに、現実にはどうやっても関係ないもの同士を、想像力によって少しでも結び付けようとしているように思えます。煙に蜃気楼を見てしまうのも、近づけない存在に少しでも近寄ろうとする心の働きではないでしょうか。

「だれか私の目を閉じて」とはそういう自分を解った上での自嘲であり、助けを求める悲鳴であり、それでいて幻を断ち切りたいという思いを表していると思います。

2008年3月16日 (日)

「カム・フラージュ」

前曲以上にタイトルに深い意味はない、というかサビをタイトルにしただけかと思うのですが、話のとっかかかりが見つからないまま、またもやタイトルについて考えてみました。

ネット辞書で検索してみると、カムフラージュの語源はイタリア語camuffare(変装する)+フランス語moufler(おおう)+AGEとあります。
ん?じゃあカムとフラージュで分かれていないじゃないか、中島みゆきは何故カムとフラージュの間に中点を入れたんだろう。

筆者の結論はいつも同じようなものなのですが、多分カム・フラージュ!と叫んでみたかっただけではないか、と思うのです。間に中点が入るとなにやら呪文めいて見えますし、本来の発音がカムにアクセントがあるのを完全に無視して、フラージュに気合が入っていることからも推察できるように、カム・フラージュはカムフラージュとは別の単語であって(カムフラージュの意味まで無視しているわけではないのですが)、真の意味は中島みゆきのみ知る一種の気迫、又は呪文なのではないかと思うのです。

またも強引かつ無駄な解釈でした。すいません。

2008年3月 9日 (日)

「海と宝石」

この曲もリフレインが大半を占め、かつ暗喩が多くてよく解らない、いや、歌詞の意味など解らなくたって、ちょっとクラシカルで懐かしげなこの曲の雰囲気が楽しめればいい、とも思うのですが、生憎、筆者には楽曲の良さを文章で伝える能力がありません。いかん、このままでは感想文にすらならない。
という訳で、普段は「深い意味はない」と決めつけてスルーしているタイトルなどについて考えてみました。

素直に考えるなら「海と宝石」はそれぞれ詩中に出てくる「海」と「宝石」のことだと思いますが、「宝石」はあきらかに暗喩であるし、「海」にしても本当に海に向かって話を聴かせるわけではない(と、思う)ので、それぞれの実体ではなく、それぞれが象徴するものと、この二つが対になったときの効果を考えればタイトルの意味を解釈したことになると思います。

筆者はこの二つをやや特殊な形の対極であると思います。地球上で最も広大で、生命の根源でもある海と、小さな欠片に過ぎずも最も高貴で美しく、ときに世俗と欲の象徴でもある宝石ではまるで二等辺三角形の底辺と頂点のような対比のさせ方だと思います。
その三角形に中には「私」も含まれているはずで、頂点に手が届かず、かといって底辺に安住することもできず、その世界の中で漂っているようなイメージを受けました。
「海と宝石」と名付けることで、実はその狭間の「私」を浮かびあがらせているのではないか、と思います。

以上、大変強引な解釈でした。やっぱり、タイトルに深い意味はないと思います。

2008年3月 2日 (日)

「さよならの鐘」

前曲でも書きましたが、中島みゆきの愛は決して爽やかサラサラなものではなく、言わば剥き出しの生傷であって、傷口から露出するものが生々しくて痛々しくて見ていられないような感覚に陥ります。

と、例え話でまとめてみたものの、実はあけすけに書くとこの曲の印象は「くどい」であって、途中で聴くのがいやになる程のリフレインに少し食傷ぎみになりました。非ファンの筆者は時にのめりこめないというか、やや冷めた耳で聴いてしまうことがあります。それは単にアレンジや歌い方など微妙な雰囲気が筆者の好みではない、というだけのことで、この曲に籠められた情念とは無縁のことだとは思います。

が、案外この「くどさ」が好きかどうかで中島みゆきに適性(とは、適当な言葉ですが)があるかどうかわかるような気がします。無論、単に好みの問題であって大した意味はありませんが。

2008年2月24日 (日)

「最愛」

心中を叫ぶことで気分がスッキリするというのは確かに事実でしょうが、根本的な解決を図らない限りは同じ思いは再び涌き上がり、苦しみをまた味わうことになります。それはあたかも追い出した想いが巡り巡って、再び自分の元に還ってきたかのようです。

中島みゆきの歌の恐ろしさはそういうところで、自らの叫びに苦しみながらもそれでも叫び続けなければやりきれず、前向きにしろ後ろ向きにしろ同じところ延々回り続けて、まるで自分の声と追いかけっこをしているような感があります。

この曲はタイトルといい、リフレインといい、中島みゆきのその面が最も表れているように思います。筆者のような他人から見れば「もうやめときなよ」としか言えないような、むしろ話しかけるのは無駄のような、手のつけられないある意味完成された曲であるような気がします。もっと極端で悪い言葉を使えば地獄絵図を見せつけられたようで、切なさやよりも悲しさよりも、恐ろしさを感じました。

2008年2月17日 (日)

「すずめ」

銀河を背景に涙を流しているような曲調で、およそ「すずめ」のイメージからかけ離れているような気がします。一種のユーモアであるとか、対比をあえて楽しんでいるような雰囲気でもなく、或いは中島みゆきのもつ雀のイメージは本当にこんなにも物悲しいものなのではないか、などと考えてしまいます。

確かに雀には大きな存在になす術なく蹴散らされるような小さくて非力な存在というイメージがあり、この曲ではその面を最大限に膨らませて歌っているようではありますが、同時に朝っぱらから群れてちゅんちゅんと煩かったり、お百姓さんの天敵であって何度追っ払っても舞い戻ってきて田畑を食い荒らしたり、と筆者の中では割と陽気なタフガイの印象があります。
したがって「雀 雀 わたしの心」と悲しげに歌われても若干ついていけず、さらには「雀のように あなたのあとを 追いかけていくの」というフレーズが雀の悲しい習性というよりもむしろ頼もしい本能のように思えて、いまいち悲しい気分に浸ることができません。

比較対象が筆者の感性しかないので、これを中島みゆき独自の感性だと言ってしまったら問題があるでしょうが、それにしてもタイトルと曲調とのミスマッチに不思議な印象を受けました。或いは、もしかしたらこの曲は筆者のイメージをも包含し、悲しみの中にもしたたかさを併せもった意外にも逞しい曲なのかもしれません。

2008年2月10日 (日)

「ひとりぽっちで踊らせて」

スタンダードな、などと言ったらいけないのでしょうか。ひとりぽっちで踊っているのが中島みゆきの標準状態のような気がして、その意味でこの歌は全く期待通りであって、何十回も繰り返されてきた孤独の再演のような気がします。
「今夜から利口になるの」も、「だからひとり かまわないで」も、今までもきっとこれから何回も聞くことになるだろう台詞であって、なんら目新しさも、斬新さもありません。

それでも胸に迫るような悲しみと苦しみが再び聴く者に訪れるのは、おそらくこのテーマが何度繰り返したところで決して慣れることなく、その度に新しい悲しみと苦しみをもたらす宿命のようなものだからだと思います。

そこから逃れて悟りを開く、というアルバムではないだろうと思いますが、この普遍的な主題はこのアルバムでも軸になるのではないかと思いました。

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