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2006年4月 9日 (日)

「時代」

もちろん初心者の筆者でも知ってはいた曲でしたが、フルでは多分初めて聞ききました。しみじみいい曲だと思いました。

「まわるまわるよ~」のフレーズが印象的なせいか遥かなる輪廻転生の曲かと思ってたんですけど、そんな雄大な視点で人生を総括するような曲ではなくて、むしろ今現在を必死に乗り越えようとしていると気付きました。

頻出する「今日」と言う言葉がたった今の辛い現実を表しつつも、「今日は」と言うことでそればかりではない、吹っ切れるはずだという希望を伝えていると感じました。

ところで筆者の記憶では「昨日別れた恋人」と歌っていたような気がしてたのですが、本当は「今日は別れた恋人」だったんですね。いったいどこで勘違ったのかわかりませんが「今日は」と「昨日」で大分印象というかニュアンスが異なりますね。

最後のリフレインでは恋人は出てこなくてひたすら旅人が倒れますが、何もそんなに(計5回も)倒れることないじゃないか、と思った筆者はアルバム一枚聞きとおしてもやはりファンにはなれないのでした。

まだ390曲位残ってますけど。

2006年4月 2日 (日)

「渚便り」

なじむメロディと切ない歌詞。訣別しようとしてまだ訣別できてない、といった感じの悲しいような淡いような甘いような曲です。波風嫋々とでも言うんでしょうか。

それにしても歌詞が「情」景を活写しています。「涙色した貝は私の心」ときたら次は「○○の砂はサヨナラの色」と来そうなのに「サヨナラは砂の色」と書くということは(以下妄想ですが)あくまでサヨナラが先にありきで、景色はあとからあてはまっていっているのではないでしょうか。中島みゆきがサヨナラ、サヨナラと連呼しながら渚をさまよっている姿が目に浮かびます。単にメロディに乗せる都合上そうなっただけの気もしますが。

タイトルが「渚便り」なのでこの曲も誰かに宛てたというスタイルかと思います。素直に渚にいる私からあなた宛てと考えて、お互いの未来のために過去とは訣別しようというメッセージがあるように感じました。別れの歌ながらも前向きな曲であると思います。

なんだか強烈に暗い中盤と比して、ここにきて前向きさというか希望のようなものが見えるようになってきました。アルバムがラストへ向かって盛り上がっている、ということでしょうか。

2006年3月25日 (土)

「歌をあなたに」

ストレートな歌詞のせいか、普遍的過ぎるサビのせいか、筆者の印象は限りなく薄い曲です。歌詞を追ってみれば結構きついことも言っているのに、特にひっかかることもなく流れていくのは何故でしょうか。

今まで色濃かった「私」の存在がこの曲では希薄に感じます。「あなたのために」という言葉に嘘偽りは無く、その分だけ「私」の存在が薄れ、ひいては曲そのものの存在感が薄くなってしまったかのようです。

そんなわけでこの曲はかなり異質な印象を持ちました。中島みゆきは「私」について歌った方が力強いのかなあ。まだ10曲しか聞いていないので誤解に過ぎないでしょうか。

2006年3月18日 (土)

「悲しいことはいつもある」

確かに悲しいことはいつもあるんだろうなと思う位に倦怠感が漂っています。このまま10分も20分も続いていってもおかしくない雰囲気ですが、2分で終わったので危うく次の曲を聴いてしまいそうになりました。

ジャズ風でちょっと新鮮な聴き心地だったのでアルバムの中の一曲として捉えるなら箸休め的な位置だろうかと憶測しつつも、重い話の合間に軽く愚痴を聞かされている様な微妙な気分になりました。

この曲では「誰も悪くない」という諦めのフレーズと少し溜めの効いた気だるいボーカルがダラダラとした倦怠感を醸し出しています。また、この曲に限らず中島みゆきのボーカルは時に鼻を抜けるような声で気だるく、何かを諦めているような印象を受けます。

今まで中島みゆきのことを散々「暗い」だの「怖い」だの書いてきてしまいましたが、ここにきて「タルい」も重要な要素ではないかと思えてきました。

2006年3月11日 (土)

「ひとり遊び」

中島みゆきってほんとに暗いんですね、と思わず繰り返したくなるほどです。ギターのイントロに漂う哀愁といい、あぶな坂のカップリングだろうかと妄想してしまいました(あぶな坂がシングルなのかは知らないのですが)。独りで鬼ごっこをやっておきながら「あたしの影を追いかけてよ」と無茶な注文をつけるあたりは理屈にならない感情の爆発が感じられて好ましく(そして恐ろしく)感じました。

でも感情は孤独を基調にしながらも複雑で深読みしたら限がなさそうです。よりによって一人遊びで鬼ごっこを始めて、追いかけておきながら追いかけてよと訴えるとは一体何をしたいのか混乱の極みです。

解釈の一つとしては、影を追いかけ続けたが相手は影なので永遠に捕まえることができない、堪らず「あたしの影を追いかけてよ」と影に向かって訴えたがそれは結局ひとりごちているだけなので「ひとり遊び」である、といったところでしょうか。

と、頑張って筋が通るように解釈してから改めてこの曲を聴いてみましたが暗さに変わりはありませんでした。

中島みゆきってほんとに暗いんですね。

2006年3月 4日 (土)

「踊り明かそう」

こりゃひどい。涙無しでは聴くことができない。

曲調は陽気というかもろに歌謡的であるというか、踊って、おどけて、今を楽しもうという感じの明るいメロディです。ただし、享楽主義的ではなく百姓が盆踊りしているような感じですが。

それだけに歌詞の暗さがより悲惨に感じます。憂さも吹き飛ばないし、浮かれた気分にもならない。相変わらずのリフレインも恐ろしい。明るい曲調に絶望的な歌詞というのは個人的は好きなスタイルですが、中島みゆきの場合情景が生々しいので筆者は絶望に自己陶酔することもできずに呆然とするばかりです。

暗さばかりが中島みゆきではない、と思いながらも今のところ暗さばかりに耳をとられます。

2006年2月26日 (日)

「アザミ嬢のララバイ」

ズンタッタ、ズンタッタとリズムに乗せて夜の花の悲しさやわびしさを切々と歌う曲です。タイトルといい歌詞といい、嫌でも場末のパブか何かで働く疲れ気味のホステスが思い浮かびます。

三度も繰り返される「春は菜の花…夜咲くアザミ」のフレーズで同じ花でありながら日なたの存在ではない自分への嘆きが最高潮に達し、そしてそれを聞く筆者は「三度も言うな」と相変わらずの冷たい感想を持ちました。

もっとも、この曲の良いところは切々と嘆き続けるところで無理やりに希望を歌わないところです。アザミにも良いところはあるのでしょうけどこの歌ではそれを陽には言いいません。ひたすら悲しみの奥のほうへ沈みこんでゆく掛け値なしの素直な落ち込みの歌であることに好印象を持ちました。

とってつけたような希望は要らない、悲しい曲は悲しいままが良いかと思います。

2006年2月18日 (土)

「海よ」

かなり馴染める歌謡的な美しいメロディが素晴らしいので、この際歌詞などどうでもいいじゃないか音を楽しもう。

と言いたいところなのですが、メロディやサウンドを語るにあまりにも筆者の知識や語彙が不足しているため結局歌詞カードに頼って感想を書きます。

故郷に帰りたい、帰れないという思いを歌う望郷の曲は幾つか知っていますが、この曲では「私」は船乗りではなくて故郷なんですね。故郷の方が船乗りを想って海に向かって船乗りを私のもとに運べという、「逆望郷」とでも言うのでしょうか。

筆者の平俗なイメージでは「故郷=女、船乗り=男、海=社会」と見てしまいます。この曲では海に向かって「私を愛しているなら船を故郷のもとに運んで」と歌います。という事は、情景としてはこの「私」は帰ってきそうにもない男を待っていて、直接自分では男に何も伝えられないのだなと想像できます。それでも海に呼びかける辺りが切なくて美しいところだと思いました。

しかし、そんな想いを重いとも感じます。なにしろ筆者は故郷はいつ帰っても温かく迎え入れてくれるものだという甘えがあるので、故郷自らにここまで望まれるとやや引きになります。筆者だけですかね。男視線で見て勝手に重いと感じるのは。

2006年2月12日 (日)

「ボギーボビーの赤いバラ」

「バラが枯れた」という取り返しのつかない事実を軸にせつなさや虚無感を聞く者に喚起させる、というシャボン玉とんだとよく似た感じの曲かなと一回目に聞いたときは思いました。構成もちょっとだけ似てますし。

が、歌詞カードとにらめっこしながら何度も聞いてみると(この聞き方は必ず歌詞の解釈論に陥るのですが)まるで違う曲であることに気づきました。

バラを捨てたのがボギーボビーなのか(それともボギーボビーがバラなのか)は私には判然としませんが、どうもバラに対する愛惜と同じかそれ以上にきれいでなくなったからと捨てたことに対して強力な感情(怨み?)がある気がします。

単純にサビに「捨てただろう」が来るためにそのように感じるんでしょうが、このサビさえなければまさしくシャボン玉とんだか夕焼け小焼けのようにああ寂しいねで終わると思います。唐突といっていいほどに「捨てただろう」、「捨てただろう」と連呼されるためにさっきまで泣いてた人が突然怒りだしたかのような怖さと不条理さを感じました。

結局はまたしても中島みゆきに責められているような気になったんですが(思い当たる節はないのに)、毎回こんな風に感じる私はなんなんでしょうか。エム気質?

2006年2月 4日 (土)

「信じられない頃に」

綺麗な裏声と綺麗なメロディで進行していくとても聞き心地の良い曲です。ボーカルがほぼ高音で押し切るためか、これまでのような凄みを感じることなくあっさりとした後味です。

歌詞の解釈は果てしないとは思いつつも、中島みゆきの歌詞は(まだ3曲しか聞いてませんが)男を受け入れているのか拒絶しているのかいま一つわかりません。

素直に聞いたら拒絶の歌ですけど、あきらかに受け入れたがっている様でもあります。もし筆者が告白したとして、「あなたは悪くないのよ」「そんな頃だったのよ」「なんて不幸なあなたとわたし」などと拒否されたとしたら、断って両者不幸なるくらいなら受け入れようよと論理的に問い詰めてみたくなります。

上記はもちろん難癖なんですけど、中島みゆきの歌詞は(まだ3曲しか聞いてませんが)あまりにも感情の「情」があっちこっちへふらふらしていて聞いてる筆者は混乱します。端的に言うと愚痴っぽいような。

まあ、3曲しか聞いてないんですけど。

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