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2015年1月19日 (月)

「India Goose」

アルバム最後の曲は「飛びたて 飛びたて」の繰り返しが勇壮とも悲壮とも聴こえて、先行きが明るいとか希望の朝が待っているという感じではありませんが、しかし決して絶望することもなく夜の中へ飛び立っていく強い意思を感じさせる、締めるというよりはまだ先が続くことを意識させる歌だと思います。

インド雁はモンゴル高原などで繁殖し、冬季になるとインドなどへ南下し越冬し、またその際ヒマラヤを越えて移動する、世界で最も高い所を飛行する鳥である、とやはりさっきウィキペディアで知りましたが、何でまたわざわざそんな高所、難所を超えて行こうと思うのか、筆者のような不精な人間から見たら不思議に思うところです。
この歌でも弱い鳥達が北風の中を逆風に逆らって、というおよそ悪条件しか見当たらない中をなぎ払われても列を組みなおして果敢に飛び続ける様が歌われています。
「戻る場所はもうない」から仕方なく飛びたつ、とも解釈できますが、むしろ自分にそう言い聞かせて不退転の覚悟を決めているようにも思え、敢えてそう言う事で誰かを或いは自分を奮い立たせる、捨て身の歌なのだと思います。

「いちばん強い逆風だけが 高く高く峰を越えるだろう」と逆風を掴んで踏み台することでより高く飛べることも示唆されていると思います。逆境もまたチャンスである、そういう厳しさと強さをもった曲であると思います。

2015年1月12日 (月)

「一夜草」

ゆったりとしたテンポで穏やかな語り口なため、感情の起伏を強くは感じさせない曲ですが、詩だけ読んでみると非常に刹那的で、穏やかとは到底いえなさそうな不安を歌っていると思います。

セレナーデは日本では小夜曲とも呼び、元々は恋人などのために、夕方しばしば屋外で演奏される音楽のこと、と先ほどネットで調べて知りましたが、この曲では「歌えてしまうよセレナーデ」、「罪つくりなセレナーデ」と、純粋に恋を謳歌するというより、ひと夜限りの恋を嘆いているような、いけないと思いつつ抱いてしまった慕情、未練、そういったものにスポットが当たっていると思います。
「あてにしないでおくれ」、「それはわたしのせいじゃない」と予防線をはり、「下手に愛など持とうものなら 裏切り者になるばかり」と最大限の警戒を払いながらも、「歌えてしまうよセレナーデ」となってしまう、そういう一種の情けなさ、悲哀が一夜草というタイトルに込められていると思います。

冒頭の「ひと夜の花よ」がかなり曖昧な発音で歌われているような気がするのですが、それがあてにならない自分の身を表現している、と言ったら深読みですが、非常におぼろげで浮き身の人生の悩みが歌われていると思います。

2015年1月 4日 (日)

「ペルシャ」

ちょっと変わったメロディが、もしかしたら「ペルシャ」を表現しているのか、なつかないまま、つかみどころがないまま、「なんだ、 夢なのか」と淡く終っていく、或いは続いていく、妙な感覚を残す曲だと思います。

「ペルシャ」というのはペルシャ猫なんだと筆者はベタにそう思いますが、ペルシャは或いは遠い異国からやってきて、なつかないのも無愛想なのも元の主人がいつか迎えにくると思っているからだ、というストーリーなのか、もしくはそんなペルシャに「私」の境遇を重ねながら夢を見てしまった、ということなのか、「愛しい人が私を呼ぶわ」のくだりはペルシャが見た夢なのか、それともペルシャを見た「私」が見た夢なのか、人と猫の意識、願望が混ざり合って胡蝶の夢の如くどちらがどちらなのか見分けがつかない感じがします。
そうやって意図的にリスナーに色々想像させて、混乱させる、やっぱりつかみどころがない曲なのだと思います。

なつかない猫というと、「なつかない猫」というそのままのタイトルの曲を思い出しますが、あちらはより気ままで従順でない猫の性質を歌っていましたが、こちらはもう少し人間っぽいというか未練の匂いがあり、猫そのものというより半分猫で半分人間のことを歌った曲ではないかと思いました。

2014年12月28日 (日)

「身体の中を流れる涙」

ずっしりと沈み込んでいくような曲調に「私は涙でできている」という極端な述懐、こんなにつけ入る隙が無いくらい落ち込んでいる歌は久しぶりな感じがします。一体何があったのか、とあれこれ想像してしまう曲だと思います。

「身体の中を流れる涙」ということで、おそらく涙は身体の外を流れておらず、むしろそれを封じこめるような雰囲気であり、「なぐさめ言葉 知恵言葉 私のためなら要りません」と外から干渉を拒否して、内へ内へと向かっているように思います。
「私の聞きたいひとことは あの人だけしか使えない」、「命よりなお長く 誓いは生きる」というフレーズから「あの人」はもういなくて、誓いだけが永遠になってしまった、そんな情景を想像しましたが、そういう、もう取り返しのつかない、自分の心の中でだけでしか決着をつけられないことを歌っているように感じました。

サビのくぐもった歌い方や、聞き取りづらいコーラスなど、単に恋愛をこじらせたというより、消えない喪失感を抱え込んで整理のつかない心模様を歌った曲だと思います。

2014年12月21日 (日)

「問題集」

「問題集」というタイトルからいわゆる問題作的なシリアスな展開を勝手に想像していたのですが、意表を突かれたというか、軽快とまでは言わないせよ、決して重々しい曲ではなく、男女の機微をテンポ良く歌い上げていると思います。

久しぶりにブログを再開したせいか総括的な感想が多くなりますが、中島みゆきにはあれだけ恋愛のことを歌っておきながら、男女が最終的には解り合わない、根本的に解り合えない、という前提があるような気がします。この歌でも、男女がそれぞれ別々の問題集を持っていて、そこに書かれている字は言語からして違っている、とまで言っています。
「あなたの問題集は 私にはたやすく見える」「取り替えてみたい気がする」と言いつつも、実際には取り替えることなどできない、相手の心の中へは入っていけない、ということが分かっているからこそ「もうまもなく わかるようになるかな」という根拠の無い、儚い願望のような叫びに収束していくのだと思います。

と、書くと何だか絶望的な感じですが、この歌ではむしろそういう難しさ、問題集を楽しんでいるような雰囲気もあり、多分この曲を歌っている時の中島みゆきは楽しそうなんだろうな、と想像しました。

2014年12月15日 (月)

「産声」

ストリングの伴奏が感動的な、割と王道的な印象の曲だと思います。しかし、歌としては難しい言葉を使っているわけでもないのですが、様々な感慨が織り交ざった複雑な心象の歌であるように思います。

「産まれは何処の国」と、国籍又は国というものを問題にした歌、かと思いましたが、どうももっと根源的なことを歌っているようです。
産まれるということの感動、そして何もかもがこれから始まるという原初の新鮮な気持ち、そういうものは普通覚えているわけもなく、しかし完全に失われたわけでもなく、誰もが心の原点として持ち合わせているものだと思います。
赤ん坊に戻りたい、何もかもリセットしたい、という現実逃避ではなく、「時は戻らない 続きを編むだけ」と覚悟して、もう一度心を新たにやり直したいという気持ちを歌っているのだと思います。

「どれも都合良く呼び戻せるはずもなくて」と繰り返されるように、決して軽い気持ちでやり直せると思っているわけではなく、むしろ悲愴感が漂っていると思いますが、それでも投げ出したりせずに前に進もうとしている歌であるように思いました。

2014年12月 7日 (日)

「病院童」

中島みゆき、遂に病院デビューか!?と、適当なスポーツ新聞の見出しのような感想が湧いてしまいましたが、それくらい深刻感がないというか、アップテンポで妙な勢いがあり、逆に深い悩みを抱えているのはないか、と勘ぐってしまうような奇妙な曲だと思います。

歌を聴き進めると、やっぱり「切実」が本音のようであって、「病院は戦場だ 病院は外国だ」と繰り返されるフレーズに代表されるように、シビアな現実があったり、或いは修羅場があったり、そうでなくとも浮世と文化が異なって、言葉が通じないような違和感、孤独感、そういう不安がいっぱいであることが窺われます。
多分、この歌はそういう病院の陰気さを吹き飛ばしたいという気分の歌で、「病院童」という、おそらく座敷童のように明るく無邪気で、孤独を掻き消す存在を欲しているのだと思います。ただ、歌では病院童に居て欲しいではなくて、「病院童になりたい」と言っており、それが不安に苦しむ人の傍らで力になりたい、という意味なのか、又はいっそ病院童になって病院に棲み着いてしまえば不安がなくなるのに、という意味なのか、意味深な言葉だと思います。

それにしても病院も慣れてしまえば戦場はともかく外国ではなくなるではないかと思うのですが、その点、中島みゆきにとってまだ病院は日常ではないようで、ファンではないながらも少し安心な気分になりました。

2014年11月30日 (日)

「ジョークにしないか」

静かで控え目で、言ってしまえば地味な曲ですが、押さえつけた気持ちは相当に圧縮されているようで、今にも噴き出そうなと言うか少し噴き出てしまった気持ちに収拾がつかないで、「ジョークにしないか」と懇願しているような、そんな印象の歌です。

「笑ってくれましたか それならいいんです」と、うっかり滑った口を取り繕うような冒頭から、「うとましがられるより そんな奴がいいんです」という王道的な臆病な態度、その辺りまでなら勇気を出せ、とか当たって砕けろ、など気楽に助言も送れますが、「愛なんて軽いものだ 会えることに比べたなら」に至って、これは他人には口出しできないほど純然とした切実な気持ちである気がします。
「伝える言葉から伝えない言葉へ」という短い詞に、気が遠くなるような心の経緯、葛藤が含まれているような気がして、そうやって時間をかけて結晶化した想いは多分外気に触れると溶けて無くなってしまうので、必死でなかったことに、ジョークにしてしまおうとしているのだと思います。

そんなわけで改めてこの曲の印象をまとめると「切なくて、情けない」ですが、考えてみれば初期からずっと続けられているテーマのようなものにも思えて、デビュー40年たっても今なおその感覚を持ち続けていることに驚愕する次第です。

2014年11月24日 (月)

「麦の唄」

シンプルで伸びやかで、確かに「明日へ育っていく麦」をイメージできる曲で、朝ドラに相応しい、と安易に書くと怒られるかも知れませんが、前向きで明るくて朝に聞くならやっぱりこんな歌がいいな、と思います。

歌詞もとてもストレートで、「なつかしい日々 なつかしい風景 その総てと離れても あなたと歩きたい」という、これまでの中島みゆきの望郷の歌を聞いていたらにわかには信じ難いフレーズがのっけから出てきて驚かされます。
中島みゆきの歌の故郷とは、何かもかもを包み込む安らぎの地でありながら、そこに帰ることはできない、極めて情念的なものであって、自分から離れることを宣言するなんて一体中島みゆきに何があったんだ、とさえ思います。
ただし、歌全体としてはやはり故郷に未練たらたら、とも解釈でき、何度も何度も故郷に別れを告げることで逆にその愛の大きさを確認しているようでもあります。そう思って聴くと、「どんなときも届いて来る 未来の故郷から」の語尾の長さに限りない郷愁と、それでも他郷で生きていくこと決めた決意の強さを窺い知ることができるような気がします。

月並みな解釈ですが、麦に県境とか国境とかはないわけで、どんな地でも育っていく強さの象徴であると思います。新しい地で泣き笑いしつつも強く生きていく、そんな生き様を歌った曲であると思います。

2014年11月17日 (月)

「愛詞(あいことば)」

アルバムの1曲目はパンチが効いている曲が多いというか、強力なインパクトを残す曲が多かった気がしますが、この曲はインパクトがあるというよりは普遍的な中島みゆき節、中島みゆきの歌声が堪能できる曲で、シンガー中島みゆきが健在である、ということを分からしめるような曲だと思います。

そしてソングライター中島みゆきも健在なわけで、「わかる人にしかわからない」、「それでいい」という非常に限定的な愛が歌われています。筆者が以前から感じる中島みゆきの愛とは博愛ではなく、特別で替えがきかない愛で、しばしば一方的で、それ故に激しく感情を揺さぶるものであると思います。「心の扉の鍵になれ」と、この歌でも「あなた」の心の扉は閉ざされていることが示されています。閉ざされた心の前で何度も何度も愛の詞を投げかけて、わたしとあなただけがわかっている、むしろ他人にはわかってほしくない、というような、小さくて深い愛を歌っていると思います

と、歌詞を解釈するといわば偏狭な歌でありながら、聴いてみるとそういう印象は薄いのはやはり中島みゆきの歌のマジックなのか、「わかる人にしかわからない」と言い放ちながら、聴く側は理屈が分からずとも気分はわかるような、そんな有無を言わさない説得力がある曲だと思います。

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